丹生山へ続く広大な道。
丹生山城 丹生山明要寺跡の特徴
箕谷駅から丹生神社を経由してのハイキングコースが楽しめます。
歴史ある創建説を持つG*要明元年の史跡が魅力です。
サイクリングターミナル近くからアクセスできる道が整備されています。
広くゆっくり休憩できる場所。
丹生山は三木市の東側に聳え立つ標高514mの高い山です。その丹上山の山頂にある丹上山城 明要寺は、南北朝時代、南朝の新田義貞の一族の金谷兵庫助経氏が本陣を構え挙兵し立てこもりました。北朝の足利氏方の赤松円心が、周囲に複数の城を築き、戦いは長期に及びました。結局、赤松氏の勝利で終わりました。時が天正に変わり、織田信長に反旗を翻した三木城主別所長治と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の三木合戦の舞台にもなりました。寺を城郭 要塞化した丹上山城 明要寺は、三木城主 別所長治を支援し、羽柴秀吉軍の奇策兵糧攻めを受ける三木城への兵糧の補給ルートとしての役割を担っていたようです。現神戸市の花隈城、この丹上山城、淡河城と繋がっていた三木城への兵糧の補給ルート。羽柴秀吉は、この補給ルートを遮断するため、天正7年5月、丹上山城に夜襲かけ、ついに丹上山城は落城します。続いて、別所長治方随一の智将 淡河弾正定範の居城 淡河城を攻めます。智略をめぐらせた淡河定範は、逆に、攻め手 羽柴秀吉の弟 秀長の軍を蹴散らし、自ら淡河城に火を放ち、三木城に入り、別所長治と運命を共にします。ただ、これにより、丹上山城を経由した兵糧の補給ルートは断たれました。明治時代の廃仏毀釈により、名称は丹上神社となり、今に至ります。
行き方としては、他の方も記載されていますが、道路沿いにある丹生神社の石の鳥居から入る道が分かりやすいと思います。鳥居から入りしばらく道なりに行くと道路の真ん中にお地蔵さんと看板が有り、丹生山(太陽と緑の道と書かれている)を目指して2.8キロメートル歩いていきます。途中で分かれ道が何か所か有りますが、1か所だけ看板の不親切な個所が有りますが、そこは向かって左側の道で整備(林道?)された方に行って下さい。全般的に登山道は比較的整備されており登りやすくなっておりますが、山頂付近になると結構な勾配の道となりますので、ご注意下さい。私の足で少し途中休憩を入れて約45分で山頂まで行けました。但し、肝心の山城はあまりその当時の面影は無いものと思います。兵庫県知事坂井さんの名前が入った立派な石碑は建っていました。また、眺望もあまり期待できません。あと、神社側にトイレは有りましたが、あまり入りたいとは思えないトイレでした。
箕谷駅から歩いて行ったんですけど、ルート検索を信じて行ってたら湖の方まで行き過ぎてしまいました(^^;途中にある丹生神社の鳥居から北に行けばよかった…サイクリングターミナルの横から入れる道があったんで、そこから登って行きました。登山道は細いところもありましたが、登りやすかったです。45分くらいで頂上の神社に着きました。景色は、1箇所だけ見える所がありました。昼ごはんを食べる場所がなかったので、帝釈山まで行くことにしました。神社から40分くらいで頂上に着きました。こっちは見晴らしがよかったです。そこでご飯を食べて、稚児墓山の方向へ進んで下山しました。1時間くらい歩いて428号線に出ました。そこからまた1時間くらいで箕谷駅に着きました。計約30000歩歩きました、もう足がフラフラです(^^;
ハイキングしました。
G*要明元年 541年 創建説も有ります。些細は只今調査中です。判明した事項から追って報告致します。
| 名前 |
丹生山城 丹生山明要寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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こちらは1580年代くらいに町が栄山道の脇に田畑や商店街、そしてお寺、城など栄える町だったのだ。そこから、豊臣秀吉の三木城攻略から始まり、淡河城に飛び火、花隈城に飛び火 この2つが三木城の重要な補給路なのだ。秀吉のしつような兵糧攻め攻略を開始致し、丹生城が陥落 戦闘物資など三木城に届かなくなり戦況が、悪化。秀吉の勝利になる。(^^)丹生神社(にうじんじゃ)は、神戸市北区山田町にある丹生山(標高515m)山頂付近に鎮座し、古くから信仰を集める歴史ある古社です。かつては明要寺の鎮守社(山王権現)であり、平清盛が福原京に滞在した際に月参りしたと伝わる場所です。アクセスは神戸電鉄「箕谷駅」からバスで「丹生神社前」下車、徒歩約2時間。神戸新聞神丹生神社(丹生山)の特徴。