千葉氏ゆかりの妙見信仰。
妙見寺の特徴
古刹らしい佇まいで、神聖な雰囲気が漂います。
江戸時代後期に再建された妙見堂が見ごたえあり。
日本三妙見の一つで、北斗七星信仰が色濃く残る寺院。
ぜひ一度。春に訪れてみてください。美しい桜を見ることができます。
このあたりではかなり立派なお寺です。初詣やお祭のときなど、かなり遠くまで旗を立てて告知をしており、近所の人たちに親しまれているのがよくわかります。初詣では甘酒や綿菓子が振る舞われました。御朱印は2種類あります。鐘もとても立派で大きく、よい音です。初詣に時は自由に鳴らすことが出来ます。夏祭りは本当にザ日本の夏祭り!という感じでとにかく素晴らしいにつきます!!舞台挨拶前に国府小の校長先生が挨拶するあたり、地域に愛されているお祭りだなぁと思います。花火も上がるよ!!妙見様は眼病の神様と言う事ですが、このあたりは冬は乾燥して風が強く、境内からも大きく見える赤城下ろしが畑の土を巻き上げるので、昔から眼病が多かったのだろうと思われますので、広く信仰を集めたのでしょう。冬の強い日差し+激しい乾燥+強風に蚕の糸を取るために目を凝らしたんでしょうから、眼病快癒は必須だったと思われます。
普通のお寺ですが、この辺りにしてはそこそこ大きなお寺だと思います。そこここで看板をよく見る甘味処・妙見茶屋の本店がお寺の真ん前にあるくらいなので、訪れてみる価値があるお寺なのかも知れません😅💦💦💦。
宗派は天台宗で本尊は釈迦如来、鉄筋コンクリート造の本堂はわざわざ見に来るほどのものではありませんが、江戸時代後期に再建された妙見堂は悪くない見ごたえです。仏堂でありながらも権現造の神社建築で、武蔵・上野・越後で活躍した名工・熊谷(小林)源太郎の彫刻が社殿に華やかさを添えています。妙見堂に祀られている妙見菩薩は北極星ないしは北斗七星を神格化した道教の神で、中国で仏教と集合して日本に伝えられました。仏教における「如来」に次ぐ位階である「菩薩」と呼ばれているものの、本来は「菩薩」の下の「明王」のさらに下、「天部」にあたるとされています。天部は江戸時代の武家社会における外様大名のようなもので、要は仏教以外から仏教に取り入れられた神様で、元はインド神様である帝釈天や弁財天も天部となります。妙見菩薩の妙見とは「よく見る」あるいは「見通す」ことで、参拝すれば眼病平癒や勝負どころを見極める眼力を得るなどのご利益があるとされています。今となっては千客万来の風でもありませんが、東国における妙見信仰のはしりと言うべき寺院であり、妙見本宮を称する千葉神社の御祭神は、ここ妙見寺より勧請されています。由緒からすれば意外とすごいお寺です。遠路はるばる訪れるに足る見ごたえとは申しませんが、古代史好きなら上野三碑に上野国分寺跡、綿貫観音山古墳とその出土品(国宝)を展示する群馬県立歴史博物館など、近世社寺建築好きなら少林寺と榛名神社(ただし二〇二五年まであちこち修理中)に貫前神社、近代日本の発展に思いを馳せるなら富岡製糸場と、周辺の見どころはたくさんあります。それらとあわせて訪れるのであれば、十分に満足できると思います。
桜並木もあり、辺り一面綺麗です。また、ご身体が北斗七星なのが面白い。
令和5年の元日の今日初詣に行きました。境内には妙見神社が有り、明治の神仏分離を免れた天台宗の古刹です。創建は715年と言われて妙見菩薩が祀られていますが、本尊は釈迦如来です。妙見菩薩とは北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部のひとつ。元日の今日はお寺の方たちが甘酒と綿菓子を振る舞っていました。焚き火も暖かいご馳走でした。上野国分寺跡が近くに有ります。
初詣に訪れました。地元の方向けに甘酒、綿あめが振る舞われていて、古き良き文化だな、と感じました。
自分が行ったときは誰もいなく1人でした。銀杏がきれいでした。
ここは桓武平氏の末裔秩父氏の妙見信仰のおおもとなので行きました。秩父神社にも関係しています。このお寺の横には妙見社もあります。明治の前までは神社も寺院も一緒ですからね。
名前 |
妙見寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-373-6838 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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いかにも古刹らしい佇まい。広大な境内にはイチョウの巨木が誇らしげに聳え立つている他に、本堂の裏には堂々としたカシが何本もある。西側に鎮座する神仏習合のなごりの立派な社殿は、文化財に指定されている。前の広場にはクロマツの巨木やトウカエデなどが、何本も繁っていてトウカエデの鮮やかな新緑が目に眩しい…。