地域に大切にされる野中八幡宮で祈りを捧げよう。
野中八幡宮の特徴
御祭神は誉田別命で、地域に親しまれています。
野中町公民館の隣に位置する小さな八幡様です。
鎌倉時代に勧請された歴史ある神社です。
小さな八幡様です。
野中八幡宮様。旧村社。駒形神社様の兼務社。拝殿の彫刻は少し凝っています。境内には野中町公民館を兼ねた社務所、五箇条の御誓文の塔、児童用の遊具などがあります。2025年1月30日訪問。
地域の皆様に大切にされている野中八幡宮。お散歩しながらお参りされる方や地域の子供達の遊び場にもなっています。初詣にもお越し下さい。
野中町公民館の隣りにあり、鎌倉初期に男山八幡宮(京都の石清水八幡宮)を勧請したものと伝えられる。社殿は西向きに鎮座し、切妻流れ造りで、鮮やかなマリンブルーの銅板葺きの屋根が印象に残る。境内に新旧の狛犬が安置されていて、新しい方は、社殿前の参道の両側で睨みを効かせているが、古い方は境内の北側で、至近距離でにらめっこをしている。5か条の御誓文(明治天皇が発表した基本政策)を刻した立派な石碑が一段と目を惹く…。年期の入ったイチョウが5本もあって、中には乳柱をぶら下げているものもあり、ギンナンが、折しも秋風を受けて、ポトポトと落下し、根元は足の踏み場もない状態。ブランコ、スベリ台などもあり、公園を兼ねている。案内板なし。🅿️あり。2025/10/13
野中八幡宮御祭神 誉田別命由緒勧請年月は不詳ですが、鎌倉時代の建長年間(1249-1256)に山城国男山八幡(現在の京都府八幡市八幡高坊にある石清水八幡宮)より勧請されたと伝えられています。口伝によれば、明治二十二年(1888)一月十一日大風の下で火災があり、火災は当時八万十六軒を巻き込み、この時、当社も罹災しました。翌二十三年(1889)現在の社殿を復旧しました。大正六年(1917)神饌幣帛料供進神社に指定されました。平成二十三年(2011)十月 東南地区総代会50年発足記念事業として、本殿を補修し、御神境と御祭神の掛け軸を奉納しました。(「上野國前橋市駒形町鎮座 駒形神社」HP参照)野中町八幡宮は遠く建長(1249~1256)の頃より、長い間私達多くの祖先より産土の神として祭り仕へ、この町の発展と幸福を願い祈り乍ら村人のよりどころとして今日に至りました。昭和四十八年(1973)には公民館の建設、昭和六十一年(1986)には農村公園の設置等、八幡宮の恩恵は多大なる事に感謝し、明治二十一年(1888)一月十一日の大火により焼失再建百年の歳月を過ぎ記念すべき年に、今後も故郷のよりどころとして氏子の弥栄を願いここに碑を建立いたしました。(境内「社殿再建百周年記念碑」参照)鳥居を潜り、児童公園を兼ねている境内参道のブランコとすべり台の間の先には左右に新しい狛犬さん。その先の社殿左側には、昭和九年(1934)十月十七日造立の岡崎現代型狛犬さんが相向かいになるように置かれています。岡崎現代型狛犬は、大正時代に神殿狛犬の様式を当時の現代風にアレンジしたもので、それ以前の狛犬はずんぐりとした丸たんぼうのような形が基本でした。この岡崎現代型が人気を得て普及し、日本全国に広がったという経緯があります。カールした毛、ふさっとした尻尾、筋肉質の体格が大正時代の石工の間で広がり、まるで現代にも通じている日本独自の獅子像の姿です。
| 名前 |
野中八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
027-266-3858 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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薄曇りの午前中に、ご参拝しました。近所の方もご参拝にこられ、人生で窮地の時に野中八幡宮で神頼みをしたら、みるみる救われたとの体験談を伺いました。いろいろと貴重なお話をお聞きすることができました。ありがとうございます。