増上寺で徳川家宣公の宝塔を訪れよう!
文昭院(徳川家宣)宝塔の特徴
六代将軍である徳川家宣の墓所がある特別な場所です。
増上寺に位置する徳川家宣公の宝塔が見どころです。
歴史的な価値を感じられる場所として多くの人に親しまれています。
増上寺の徳川将軍家墓所にある、六代将軍・徳川家宣公の宝塔です。「文昭院(ぶんしょういん)」は家宣公の戒名にちなんだ呼び名です。家宣公は新井白石らを登用して「正徳の治」と呼ばれる文治政治を進めた将軍として知られ、その治世に思いを馳せながら墓前に立つと感慨深いものがあります。かつては文昭院霊廟という壮麗な霊廟が築かれていましたが、戦災でその多くが焼失し、現在は墓所内に宝塔が大切に祀られています。歴代将軍の宝塔が静かに並ぶ中、一基ずつの戒名や来歴を確かめながら巡ると、徳川の歴史が立体的に見えてきます。なお焼失を免れた文昭院霊廟の勅額門などは、埼玉の狭山不動寺に移築されて現存しているそうです。都心の喧騒を忘れ、江戸の歴史に深く触れられる、歴史好きには見逃せないスポットでした。
第6代徳川家宣墓所です。新井白石の登用など、正徳の治を行いました。根津神社はは家宣の誕生の地であり、彼が将軍を継ぐ際に、現在の社殿が奉納されました。
甲府藩主から六代将軍となった徳川家宣の墓塔です。新井白石を登用し正徳の治で知られる文治政治を指導した将軍でもあります。戦災で消失した文昭院霊廟を発掘した後、こちらの墓塔に改葬されています。元々の霊廟は巨大な建物で、増上寺本堂北側の北御霊屋の南半部を占めていた広大な建物で、現在の港区芝公園、東京プリンスホテルの敷地にあたります。その広大な文昭院霊廟は戦災で消失しましたが、消失から免れた建物が、徳川将軍墓所の門となっている鋳抜門です。文昭院霊廟の壮麗さを唯一偲ばせるものとなっています。
| 名前 |
文昭院(徳川家宣)宝塔 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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6代将軍家宣の宝塔。甲府藩主から48歳で将軍となりました。これにより甲府徳川家は廃家。6代、7代将軍の時代を正徳の治といい、儒学者新井白石を重用し、彼が進めた復古原理主義的文治政治を行いました。改葬の際の調査で家宣は細面で鼻筋が通っていて穏やかな顔立ちをした美男であったといいます。