国峯城の守り神、石上神社。
石上神社の特徴
石上神社には道路沿いに印象的な石碑があります。
御祭神は布都御魂大神で、歴史的背景が魅力的です。
国峯城の守りの神社として地域に根ざした存在です。
石上神社(いそのかみじんじゃ)御祭神 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)由緒は不詳ですが、甘楽町小幡の「小幡八幡宮」に「石上神社」の合祀、祭神分祀の記載がありました。明治四十二年(1909)一月二十九日、小幡村大字国峰の村社石上神社は小波多神社に合祀されました。昭和二十五年(1950)五月十五日、小波多神社より祭神分祀し、小幡町大字国峰に石上神社を創立しました。甘楽町国峰の「長善寺」から南に山に入ると、小幡氏の居城だった「国峰城」の城跡に至りますが、南に向かわずそのまま道なりに西へ「大塩湖」方面に走り、民家の途切れた辺りの南側、「茂木沢」を渡った奥に「石上神社」があります。大塩湖にダム建設し、大塩貯水池となる前は、きっとこの辺りが最も山深い所だったのではないでしょうか。この地に布都御魂大神を祀ったのは国峰城小幡氏に関連するのか、それとももっと古く物部氏などの豪族に関連してくるのか、興味深いですが資料や伝承などは見つけられませんでした。
国峯城の守りの神社です。由来総代表様より、当社の創生は奈良時代以前と考えられる。此の地早々より開け、石上一族板東に君臨、磯部之君と称される。地域万民の為、五穀豊穣、無病息災を祈願し、此の地に石上大明神を祀る。奈良時代、大和朝廷に従属神祈官領職を奉戴、物部氏と成る。中でも有名な人物は磯部牛麻呂君である。当時は縣明神と称される。鎌倉時代の上野神名帳に記載あり。戦国時代、小幡氏祈願所とし、出陣の旗揚げ度々行う。特に永禄の頃、旗揚げをし祭神を分霊、一之宮家へ送りこれを祀る。一之宮家にて旗揚げをいたし信濃の国にて、川中島の合戦に出陣、武田軍に参陣する。徳川時代に入り寛永十二年、家光公より神社修復の令が出され修復される。現在の本殿は、其の時のものと考えられる。明治四十二年一月二十九日、小幡八幡社に合祀と成る。終戦後、昭和二十五年五月十五日、元の社に移奉、此の地の鎮守と成り長き時代を経て、氏子住民の尊敬厚く現在に至る。神祈管領ト部良連 上毛國峯村願主神主 井上山左衛門(磯部氏)祭神 布都主御魂。
名前 |
石上神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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道路左側に石碑ある。鳥居には石上大明神とある。静かな場所です。