アプトの道を歩く、思いを馳せる。
碓氷峠鎮魂碑(群馬県安中市松井田町)の特徴
横軽開通で命を落とした500人を記憶する招魂碑です。
アプトの道散策時に訪れるべき、静寂に包まれた歴史的な場所です。
碓氷峠交通殉難者鎮魂碑が、永遠に見守り続けています。
ひっそりと建つ招魂碑横軽開通のために500人が亡くなったという…永く横軽を見守ってきたが廃線後はアプトの道を歩く人々を見守っている…アプトの道を歩く時は是非訪れて手を合わせていただきたい…
鹿島組招魂碑、碓氷峠交通殉難者鎮魂碑、が立っています。
この地に明治十八年より碓氷アブト式鉄道の建設が開始され、当時の富国強兵の国是により太平洋と日本海を結ぶ鉄道として距離十一・二K、二十六のトンネル、十八の橋梁、高低差五百五十三米の碓氷線が一年九ヶ月の短期間で開通しました。 当時の技術を考える時、おそらく人海戦術であったろうと想像されます。 この難工事に全国各地より工事人夫が集められ、多数の犠牲者があったと言われています。 その慰霊の為、鹿島組の招魂碑が建設されたものと推測されます。(解説掲示版より)
名前 |
碓氷峠鎮魂碑(群馬県安中市松井田町) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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碓氷線の工事にかかわるといわれている鹿島組の招魂碑です。この碑には『鹿島組 招魂碑 龍集明治二十五年春三月二日 兵庫県加古郡草谷村 魚住八十松 外五百名 明業舎 願人 魚住政吉』と刻まれています。合掌。