伝説の巫女・廬入姫祀る宇夫須那神社。
宇夫須那神社の特徴
伝説の巫女・廬入姫を祀る神社である。
廬入姫の誕生した産屋が由来の神社です。
パワースポットとしても知られています。
伝説の巫女・廬入姫を祀るパワースポット廬入姫(景行天皇皇女)の誕生した産屋(うぶや)が名前の由来とされます。同様の由緒は、他の神社にもあります。○宇夫須那神社○宇夫須奈神社○綾衾(あぶすま)神社○青衾(あおぶすま)神社○魚入神社等廬入姫が本来生まれたのは愛知県一宮市木曽川町里小牧南青木の木曽川中学校がある岡に『青木宮』があり、そこで誕生されています。廬入姫の父:景行天皇(12第)は、大和王朝のビッグダディともいわれ、子供の数は80人!!皇后:八坂入媛命との間だけでも稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)=成務天皇13第五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)=継承第2位忍之別皇子(オシノワケノミコ)稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)大酢別皇子(オオスワケノミコ)渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)★五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)=★廬入姫★麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)…応神天皇の妃弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)…応神天皇の妃13人!!景行天皇の子供達は皆、国群の・国造・和気・稲置・県主などに任じて、それぞれの国へと行かせました。それが、次の成務天皇の行政区画の成果へと結びついていきます。しかし、なぜこの地区に、廬入姫の碑がこんなにも残るのでしょうか??廬入姫を祀る綾衾神社の社伝には、次の一節がのこります。===綾衾神社社伝===廬入姫は五百木入姫にて景行天皇の皇女なり。此姫命は尾張國にて生坐けむ式内宇夫須那神社尾張國葉栗郷門間庄島村に在============生坐けむとは、『生まれた』という意味です。しかし生誕は青木宮です。なぜ?ここからは推測です。廬入姫は、史記・結婚や出産の記述はありません。景行天皇の王子達は・国造・和気・稲置・県主として派遣されたのですが、妃とならなかった姫は、おおよそ神に仕える巫女となっていました。景行天皇の同母の妹:倭姫命(やまとひめのみこと)は天照大神の巫女となっていますし、景行天皇の娘:五百野皇女(いおののひめみこ)も倭姫命の跡を継いで天照大神に仕えます。つまり、綾衾神社社伝は『生坐け』ではなく、『生き巫女』なかったのでしょうか。そう考えると、廬入姫は、この地で巫女として暮らしていたと考えるのが自然です。事実、この地域は、王族に関係する神社が密集している地域です。大毛神社にも廬入姫の人形が残ります。南にある、坂手神社も、元伊勢として有名です。そして、綾衾神社社伝の記載の門間庄には、この地区最大の伊冨利部(いふりべ)神社がありました。伊冨利部氏=伊福部(いふくべ)氏とされ伊福部氏は景行天皇の皇子五百木之入日子の名代でもありました。伊福部氏は、製鉄・鍛冶が本来の職掌とされており、ここ宇夫須那神社境内で古墳後期の鉄製直刀片2が出土したとのことで、鍛冶族としての伊福部氏の痕跡も窺えます。つまり、廬入姫は、ここ島村に住まい、伊冨利部神社で、巫女として仕えていたのではないでしょうか。そのため、この地域の人たちは、巫女として祈りをささげ続ける廬入姫をしたい、記念碑をささげました。廬入姫は大変心やさしい女性であったと伝わります。
| 名前 |
宇夫須那神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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宇夫須那神社(うぶすなじんじゃ)。愛知県一宮市島村上深田。式内社(小)、旧村社。主祭神:余曽多本比売命(よそたほひめのみこと、孝昭天皇の皇后であり、孝安天皇の母)兄の「瀛津世襲(おきつよそ)」は尾張氏の祖であり、この皇后の出自が天皇家と尾張氏との関わりを深める要因となりました。【関係氏族】羽栗臣資料によると、この地は廬入姫(いおきのいりひめ)生誕の地とされ、当社の社名は、盧入姫の産屋にちなんだものと考えられている。廬入姫は『古事記』に五百木之入日売(いおきのいりひめ)、『書紀』に五百城入姫と記し、景行天皇の皇女で、母は、天皇が美濃に行幸した時、妃とした八坂入媛という。その兄五百木之入日子が尾張連の祖建伊那陀宿祢の女志理都紀斗売(しりつきとめ)を娶ったという伝承がある。式内若栗神社を「北の宮」とし当社を「南の宮」と称している【関係氏族】羽栗臣。境内に古墳があるが殆ど原形不明となっている。とあります。参考として、生まれ故郷の土地神を「産土神(うぶすな)}と言いますが、当社はこれと同じ読みな社名を持ち、意外にもその汎用名を神社名にしているのは、式内社の当社とその論社に限られている様です。これはある意味で固有名詞化した「うぶすな」で、意味は汎用名の産土神に通じるものですが、「宇夫須那」としては尾張族の固有名詞になっている様です。