江戸時代の洲崎橋跡で歴史を感じる。
洲崎橋跡地の碑の特徴
江戸時代に埋め立てられた洲崎の歴史を感じることができるスポットです。
かつて遊郭の入口だった洲崎橋の跡地は、歴史好きにはたまらない場所です。
唯一のアクセスだった橋の名残を残す洲崎橋跡地の碑を是非訪れてみてください。
洲崎(すさき)は江戸時代(元禄)に埋め立てられた土地。明治21(1888)年に根津から遊廓が移転して「深川洲崎遊廓」が開業。遊廓の東西南は海に囲まれ、北側には洲崎川が流れ、洲崎川に架かる橋が洲崎橋であり、洲崎遊廓への唯一の出入口であった。当該碑に埋め込まれている名板は、昭和2(1927)年に震災復興橋梁として建設された時の物と思われる。第二次世界大戦終結後、洲崎遊廓は「洲崎パラダイス」の愛称で復興、その後、昭和33(1958)年に廃止された。洲崎川は昭和55~57(1980~1982)年に埋め立てられ「洲崎川緑道公園」となり、洲崎橋は撤去された。碑の下には以下の文が刻まれている「橋撤去にともない旧橋名板を残す」
洲崎橋跡地の碑です。かつて洲崎遊郭の唯一の出入り口となる洲崎橋があった場所だそうです。明治時代に根津遊郭が移転してできた遊郭だそうです。
2025年2月訪問かつて遊郭の入口に位置していた橋の跡地。この辺りは「洲崎パラダイス赤信号」のロケ地でもあった。
| 名前 |
洲崎橋跡地の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒135-0016 東京都江東区東陽3丁目1−H1-98 洲崎川緑道公園 |
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かつて洲崎は川で隔てられた土地で、ここがその唯一のアクセスとなっていた橋だったそうです。橋名板と緑道公園がある他は、往時を偲ばせるものは何も残っていません。ですが吉原しかり川で隔てなければ逃亡者が出る場所であったことを思うと切ないものがあります。