旧日本軍の歴史、四街道にここに!
陸軍野戦砲兵学校跡の特徴
陸軍野戦砲兵学校の歴史を感じる石碑が印象的です。
旧日本軍の砲兵の記念碑が集まる貴重な場所です。
四街道の軍隊の町としての重要な跡地です。
旧日本軍の砲兵の記念碑が集められています。要塞ではなく野戦砲兵なので外地で玉砕した方が多かったことでしょう。公共施設前にきちんと整備されています。
陸軍野戦砲兵学校の跡地で石碑があります。ここでは砲兵の幹部候補育成が行われていました。明治天皇の行幸や皇太子時代の昭和天皇も行啓も行われた重要施設です。(皇族軍人の北白川宮永久王も当学校出身です。)太平洋戦争が始まると少年兵への砲術育成もあわせて行われるようになり、戦地へと送り込まれていきました。碑の周りには、観測隊や生徒隊の碑もあります。以下、碑文より明治十九年(一八八六)四月二日下志津原の北総に創立した陸軍砲兵射的学校は鉄道の開通に伴い同三十年春野山砲から成る教導大隊を持つ陸軍野戦砲兵射撃学校としてこの地に移転し砲兵の戦術及び射撃術の研究教育にあたった大正十一年(一九二二)陸軍明治十九年(一八八六)四月二日下志津原の北端に創立した陸軍砲兵射的学校は鉄道の開通に伴い同三十年春野山砲から成る教導大隊を持つ陸軍野戦砲兵射撃学校としてこの地に移転し砲兵の戦術及び射撃術の研究教育にあたった大正十一年(一九二二)陸軍野戦砲兵学校と改稱し野戦重砲兵を含む教導聯隊に拡張し高射砲練習隊を新設して初めて一部を機械化した昭和八年(一九三三)以降下士官候補者隊、情報隊、観測隊幹部候補者隊を相次いで新設し、大東亜戦争に入り少年兵の生徒隊ロケットを含む迫撃砲隊、自走砲隊などを新設したこの間明治三十三年六月と同四十五年五月とに天皇の行幸を仰ぎ、同四十四年五月と大正七年五月とに、皇太子の行啓をお迎えした。惟うに学校は創立以来六十年まさに日本砲兵最高の指導的殿堂として大いに国運の興隆に貢献したしかも四街道はその昔人家まれな寒村であった頃から学校と緊密な協力をして今日の繁栄の基礎を築いたこの壇は学校創立五十年記念として築いたもので終戦にあたり全校将兵はここで、御真影と勅諭とを奉焼し日本の再建を誓い合った由緒ある遺跡の消滅せんことを惜しみ碑を建ててその由来を記するものである。昭和四十年(一九六五)四月二日四街道町史蹟保存会陸軍野戦砲兵学校遺跡保存有志一同。
| 名前 |
陸軍野戦砲兵学校跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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その昔、軍隊の町、四街道の最たる跡ですかね!