開運招福の手山田長政像。
山田長政像の特徴
静岡市出身の英雄、山田長政の像が展示されています。
江戸時代前期に活躍した山田長政の歴史を学べる場所です。
アユタヤ王室に仕えた人物の貴重な史跡で観光に最適です。
タイとの貿易で活躍した方のようです。未だに山田長政さんのイベントが開かれているので地元に方には愛されているようです。
私が訪れた時は1月だったからか「開運招福」と書かれた花が飾られていました。他の方々が投稿した写真を見ても花が飾られていたり、レイ(?)が首に掛けられていたりと地元の方々に大切にされているようですね。私の記憶が確かならば、山田長政は体がとても大きくて以前は駕籠かきをしていたと思います。現在「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」が開催されている場所はかつては静岡市文化財資料館でその頃は山田長政の肖像画も展示されていました。また見たいですね。
意外に知られていない静岡市出身の英雄、シャム(タイ)で活躍した山田長政、だれもがスルーするが自分は撮影する。
お祭りが有ります。
2020年11月の始めの日曜日浅間通りに出掛けました。山田長政像もマスクをしていました。今年はマスクの年でしたね、時代を現す1枚です😵健やかでいましょうね。
マスクの長政像、まま有りかな、
31.3.10 さわやかウォーキング⓶ 名勝史跡後でネットでこの人物を調べてみました!日本とタイの歴史関係がわかりました(^^)
江戸時代前期に現在のタイの日本人町を中心に東南アジアで活躍した人物。歴史の教科書にも出てくる。毎年、長政まつりが浅間通りで行われる。
慶長十七年(1612)頃シャム(現在のタイ)へ渡り、アユタヤ王室付きの日本人護衛兵の長として活躍した人物。 また日本人街の頭領としてアユタヤを拠点に活発な貿易を行い、かの東インド会社を相手に争い、同社のアユタヤ支社を閉鎖させてしまったという。 アユタヤ王室での最高官位を受け、のち内乱の続くタイ南部リゴール(六昆)へ転出、六昆王(リゴール国王)に任命されるが、戦傷が元で死亡。毒殺ともいわれている。 子供は六昆王を継ぐが王室からは認められず、討伐を受け死亡。日本街も襲撃され衰退したという。 シャムより静岡浅間神社へ『戦艦図絵馬』を奉納したが、後に火災により焼失。 しばらくして戦艦図絵馬の複写が見つかり、現在はそちらが展示されている。
名前 |
山田長政像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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商店街に手山田長政様を発見。遠藤周作『王国への道』は中々面白かった記憶あり。