賤機山城の歴史と美。
賤機山城の特徴
賤機山城跡には今川義元公ゆかりの歴史が感じられます。
銘菓のおでんやで御城印を購入し、静岡散策を楽しめます。
登山は本格的な山道で、ハイキングコースとして人気があります。
山城があるということで、駿府城内にあるおでんやさんで御城印を買い、静岡浅間神社で参拝し登りました。浅間神社から登り、瑞龍寺側へ下り、写真撮りながら約1時間半ちょっとと気軽に歩けた山でした。天気が良ければ途中で富士山を見ることができます。人気の山だからか気軽なのか多くの人が登っていました。
木があって展望は効かないですね。堀切りはハッキリと分かります。
戦国乱世で、東海一の弓取、今川義元公が、この地で、きっと富士山を眺めたはず❗嫡男氏真を連れだって。
今川館の詰めの城とされる山城。南北朝期から続く城で、その後大きな改修はなかったのか土塁や堀がちらほら見られる程度、主郭には城址碑と解説板があります。
駿府城二の丸付近にあったとされる今川氏駿府館は平地で防御に弱いので、有事の際にはこの賤機山城に立て籠もって戦う想定でした。いわゆる「詰めの城」です。それにしても駿河・遠州・三河の三国の主人である今川氏の城にしては、あまりにもショボい(笑)。規模も小さく防御にも特に工夫はありません。富強の今川氏にとっては戦は外地で行うもので、首都駿府での「本土決戦」など基本的に考慮していなかったのでしょうね。しかし今川氏にとっては不幸なことに「その時」がついにやってきてしまいます、武田信玄の駿河侵攻です。一方迎え撃つのは今川義元の跡を継いだ嫡子氏真ですが、検索すると戦国大名としてよりも和歌・連歌・蹴鞠に通じた「文化人」として名前が出てくる人なので(笑)勝敗はやる前から明らかでした。甲府側から見て駿河の入口にあたり、山が海に迫り出す薩埵峠で防衛を試みたのですが、そんな事は先刻承知の信玄はあらかじめ内応工作済みで、氏真の家臣達は「どうせ国を渡すなら義元公のカタキの信長よりは信玄の方がまだマシだ。」として勝手に撤収してしまったのです。信玄の技アリの一本と言えるでしょう(笑)。そして抵抗を受けることもなく駿府に乱入した武田軍は、あろうことか最終防衛拠点であるはずの賤機山城まで抑えてしまいます。どれだけ組織が腐敗し士気が下がれば、こんな事態になるのやら・・・。避難先まで失ってしまった氏真は慌てて掛川城へと逃亡していきました。城の見所としては三の曲輪を山の尾根から隔てる大堀切と案内板の立つ本曲輪に存在する約10m四方の土塁になるでしょうか。まぁ山城の防備としては必要十分ですが、圧倒的な深さや高さがある訳でもなく何か芸が無さすぎる気がしました(笑)。
浅間神社の正面の赤鳥居をくぐって、左手の大階段を登った先の麓山神社の左手の道を、尾根づたいに歩いて行きます。結構な距離を歩きますが、さすが、静岡市内の中心部にあるハイキングコース。普段の城巡りでは出会わない人数の、歩いている人や走っている人など、かなりの人とすれ違い、追い抜かし、追い越されました。時折、これは土橋?、堀切?、土塁??、みたいな箇所に巡り会いますが、石碑のある本曲輪っぽいところは城跡的な雰囲気はありませんでした。ただ、駿河の国としての躑躅ヶ崎館の要害山城みたいなポジションなんだな、と思いを馳せたりできる平山城です。浅間神社からは、遠いです。
浅間神社からここまで行くのが定番の散歩コースです。景色が最高ですが、特に富士山がきれいに見ることができます。
山城の石垣が残ってます。
2018年5月、6月に訪問しました。2020年3月下旬にも訪問しました賎機山城の北にある茶畑を背景に富士山をみることができます。5月頃には野イチゴがとれます。
名前 |
賤機山城 |
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ジャンル |
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電話番号 |
054-221-1066 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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賤機山城跡、と言っても特に観るモノはありません。ハイキングコースです。