花倉の乱ゆかりの方ノ上城。
方ノ上城址の特徴
曲輪や堀切、土橋等の遺構が良好に保存されています。
花倉の乱の舞台となった歴史的な山城です。
狼煙台の跡が確認できる貴重なスポットです。
方ノ上城。農道を通り、車でかなり登ります。歩行者も時々いますが、車の通りはほとんどありませんでした。道は車ですれ違える程度の広さです。付近に駐車場はありませんが、城の説明板の前であれば短時間は停められそうです。(ハイキングが好きな方は麓から登れるかと思いますが、距離はかなり長いと思います。)
麓から約1時間かけて登りました。道は比較的明瞭なものの紛らわしい場所もあり、荒れたみかん畑や藪を抜けて登ることになります。来訪の際は登山用装備を準備するのをお勧めします。
駐車した場所(花沢)から、ずいぶんと歩いた。登城ロがわからず、諦めかけていたら、現れた。後はそれほど歩くことなく、烽火台まで進める。遺構は残っているが、曲輪は狭い。雨の後だったためか、幻の池には、水があった。
狼煙台を備えており、曲輪、堀切、土橋等の遺構が残っている山城。烏帽子山城もそうだが遠くからみても分かりやすい特徴的な山の形は狼煙台としての役割を果たすということがよく分かる。
方ノ上城(かたのかみじょう)は、静岡県焼津市策牛・方ノ上にある日本の城(山城)。戦国時代に起きた今川氏のお家騒動である花倉の乱の舞台となった。築城年代は不明。山麓の猪之谷神社『猪之谷神社誌』によれば、築城者は「南北朝時代、安倍の狩野氏云々」(南朝方の狩野貞長か?)との伝えがある。ほかに、明応2年(1492年)頃、駿河国の守護・今川氏親が駿河の支配を確立した後、遠江国方面進出する際の拠点として築城した可能性が高いとされる。天文5年(1536年)5月、当主・今川氏輝の急死により勃発した、栴岳承芳(後の今川義元)と兄・玄広恵探による家督争い(花倉の乱)において、玄広恵探派が花倉城とともに方ノ上城を占拠し抵抗したが、栴岳承芳派の岡部親綱の攻撃によって同年6月10日(新暦6月28日)に落城したという。その後の廃城時期は不明。
方ノ上城(かたのかみじょう)は、静岡県焼津市策牛・方ノ上にある日本の城(山城)。戦国時代に起きた今川氏のお家騒動である花倉の乱の舞台となった。築城年代は不明。山麓の猪之谷神社『猪之谷神社誌』によれば、築城者は「南北朝時代、安倍の狩野氏云々」(南朝方の狩野貞長か?)との伝えがある。ほかに、明応2年(1492年)頃、駿河国の守護・今川氏親が駿河の支配を確立した後、遠江国方面進出する際の拠点として築城した可能性が高いとされる。天文5年(1536年)5月、当主・今川氏輝の急死により勃発した、栴岳承芳(後の今川義元)と兄・玄広恵探による家督争い(花倉の乱)において、玄広恵探派が花倉城とともに方ノ上城を占拠し抵抗したが、栴岳承芳派の岡部親綱の攻撃によって同年6月10日(新暦6月28日)に落城したという。その後の廃城時期は不明。
狼煙台の跡もありました。
小さいお城ですが、花倉の乱の舞台の一つになったお城です。主郭からの景色はすごく綺麗です。
花倉の乱(1536年、天文5年)激戦地。
| 名前 |
方ノ上城址 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
054-629-6847 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.yaizu.lg.jp/museum/rekimin/bunkazai/joseki/katanokami.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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高草山をサイクリング中に寄りました。前行ったときは狼煙台がどこにあるかわからず帰りました。今回は粘り強く探して、ピンクの紐を辿っていったらありました!石合山って言うんですね。高草山じゃないんだ。標高は 230m。方ノ上城は狼煙台を備えた山城で1336年から40年に築城され、今川氏親により改修され今川軍の遠江国に進撃する連絡拠点として監視や警備を行ってたと言われてます。当時の遺構を見ることができます。パノラマビューではないですが景色眺められました。幻の池とやらありますが池というより沼でした。すり鉢状の地形なので雨が降れば池になるのかもしれません。獣の足跡🐾👣がいっぱいありました。