歴史を感じる妙堂の石仏。
北野の石龕の特徴
ミョウドウサマとして地域に愛されている石龕です。
南北朝時代に造られた貴重な石仏があります。
広々とした水田地帯の中に突如現れるスポットです。
広々とした水田地帯を走るまっすぐな道を走っていると、突如現れます。かなりの歴史があるみたいなので、余裕があれば民族誌などを調べてみたいですね。
中の石仏はなかなか歴史がありそうです。管理もしっかりしているからか、南北朝時代からの石仏だそうですがきれいに残っていて貴重だと思います。
南北朝の頃に造られたとか。小さいですが趣があります。横に生えている樹はエノキです。かつてはフジ等の蔦が絡み付いてガジュマルのような雰囲気がありましたが。整理されてしまい、なんやらさみしくなりましたね…(^_^;)
なかなか貴重な石仏です。大きな木も見どころです。地元の人たちが綺麗に管理していて感心します。
土地の人はこの石龕をミョウドウサマとか永(栄)海塚といい、また、僧永(栄)海の塚で、その塚の上に建てたのが妙堂であるとも言い伝えている。僧永(栄)海(一四三〇~一五一三)は、浄土宗鎮西派に属し、後土御門天皇(一四六四~一五〇〇)の勅命を奉じて北国に下り、越中国では、宝祚延長・国家鎮護の祈願所として西願寺(魚津市)を文明二年(一四七〇)に開いた。その後、明応三年(一四九四)に石田の西往寺、永正元年(一五〇四)に三日市の西徳寺のほか、栃屋の法伝寺、浦山の法伝寺など、越中国で七箇寺(八箇寺ともいう)を開き、永正一〇年(一五一三)富山市猪谷の宝樹寺で没したと伝えられる。龕とは石でつくった厨子という意味で、この石龕は、三方を一枚石で組合せ、その上に屋蓋がのせてある。高さは、屋蓋下までが六四㌢、屋蓋は高さ二五㌢の土饅頭型。幅は外法八八㌢で厚さ九~一二㌢、底石の厚さ一二㌢の礫質凝灰岩である。石室の奥壁と左右両壁には、各三体の仏像が刻まれている。奥壁中央は蓮台に座る阿弥陀如来、向かって右は両手に蓮台をもつ観世音菩薩、左は合掌した大勢至菩薩の、いわゆる弥陀三尊である。左右両壁の各三体は、蓮台に立つ地蔵菩薩である。来迎姿の弥陀三尊に六地蔵を配したものである。
| 名前 |
北野の石龕 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kurobe.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=3321 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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写真は古い。今は木が切り株になりました。おそらく寿命 遺跡はあります。墓では無いです。1990年には放置されていました。管理はあった?現在は周辺を整備し、畑の中に歩道があります。