満開の桜と歴史感じる橋。
勝草橋の特徴
江戸時代から続く勝草橋は、歴史を感じさせる存在です。
春には満開の桜並木が美しい景色を演出しています。
整備された歩道は、散歩に最適な快適さを提供しています。
東海道に架かる素敵な橋です。この橋になる前は、有料で橋を通行させたり、その前は船で川を渡っていたそうですよ。
藤枝花火大会見てきました。絶景スポットです。土手の砂利道の為、駐車はタイトに停めます。後から行ったのですが、何とか停めることが出来ました。いい花火が見れて最高でした。
名前が良くて、歩道が車道の片側と同じくらいの幅がありとても広くていいね。ふれあい大橋とのあいだ(シーズ花屋さん裏付近)に大きなイチョウの木があります。令和5年5月27日。
春には桜が綺麗に見えます。
両サイドに桜並木がありとても綺麗橋自体レトロで遠くに青々した山が見えて自然を感じます。
勝草橋周辺は東海道の渡河地点であり、江戸時代には川越しが行われた。1870年、川越しが廃止された。1875年、初代の勝草橋が開通。1932年、鉄筋コンクリートの新橋が竣工。2003年、一里塚と勝草橋公園の整備とともに架け替えが行われた。
『藤枝町誌』(大正13年、静岡縣志太郡藤枝町役場)299頁よりーーー東海道の瀬戸川を渡渉する所に架す。維新後架橋渡船の禁を解かるゝに及び、本町の人梅島輿四郎、岩崎惣右衛門、志太の人臼井初藏官許を得て架設し明治四年四月より其の通行を見たり(當時の橋梁は極めて不備なるものにして夏半年は渡船により冬半年のみ架橋したるものなりといふ)越て同八年七月に至り有志者自營の下に、橋梁架設を出願し許可を得て同年十一月竣成し、初めて完なる橋梁を得交通に便せり。其の後官營となり総度か架け替えて今日に及べり。橋名の傳説には數説あり。一説によれば古昔田中の城兵此の川の附近にて防戰克く努め數次の勝利を得しを以て勝軍(かちいくさ)橋と稀せしを音つまりて勝草(かちくさ)となりしともいひ、又一説には、西岸なる志太の國音歯朶に通し其の異名を勝草と稱するに出でしにはあらざるかともいへり。書家伊佐氏の命名せし處なりといふ。
昔に比べたら整備されて歩道も綺麗になり散歩も快適です。
おふくろが女学校の時この橋を走ったらしい。多分戦中の話、でも通るたびにその話を思い出す。
名前 |
勝草橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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江戸時代からここに橋がかかっていたそうな。