日枝神社東側で記念碑探し!
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| 名前 |
元官幣大社 日枝神社 記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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日枝神社の東側の元官幣大社日枝神社の記念碑です。---戦前の神社制度で最高位級の「官幣大社」に列せられていた日枝神社官幣大社は、明治以降の近代社格制度で使われた神社の格式です。近代社格制度では、神社は大きく 官社 と 諸社 に分けられ、官社の中に 官幣大社・官幣中社・官幣小社・国幣大社 などの区分がありました。近代社格制度そのものは、第二次世界大戦後に廃止されています。「官幣」の「幣」は、神前に供える幣帛のことです。官幣社は、国家・皇室との関係が深い神社として位置づけられた社格でした。つまり、官幣大社は、戦前の国家神道体制下で非常に高い格式を与えられた神社という理解でよいです。日枝神社は、もともと江戸城の鎮守として重視された神社です。公式由緒では、文明10年、1478年に太田道灌が江戸城内の鎮護の神として川越山王社を勧請したこと、さらに徳川家康の江戸入府後は「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として崇敬されたことが説明されています。その後、江戸城改造に伴って城外へ移され、明暦3年、1657年の大火後には、現在の赤坂・永田町付近の地に遷されました。現在の日枝神社が「赤坂山王」「江戸山王」と呼ばれる背景はここにあります。日枝神社は、江戸時代には 徳川将軍家・江戸城・江戸市民の守護神 として大きな地位を持ちました。明治以降、東京が首都になると、皇城、つまり皇居周辺を守護する神社としても重視され、近代社格制度の中で 官幣大社 に列せられました。日枝神社は現在も、神社本庁の包括下で特別な扱いを受ける「別表神社」とされる代表的な神社の一つです。