平安の響き、比企尼の寺。
泉福寺の特徴
阿弥陀三尊が平安末期に安置されている重要文化財です。
比企局にゆかりの深い歴史的な背景を持つ寺院です。
田舎の静かな雰囲気の中で落ち着いて過ごすことができます。
頼朝の乳母、比企局(後の比企尼)は都より下向し夫と三門館跡に住まい、伊豆流罪の頼朝に二十年間も尽くしたのです。✳そんな三門館跡はここ泉福寺(智山派)の向かいに在りました。比企局は夫が亡くなると出家をし娘三人の子供しか居なかった為、甥の能収を養子に迎えました。比企尼の口利きもあり比企能収は頼朝に使えるのでした。頼朝は機が熟して平氏打倒に立ち上がり遂には1192年に鎌倉幕府を開いたのです。比企一族のお墓が鎌倉妙本寺にあるのは、比企氏の働きに感謝した頼朝が褒美にあげた土地でしたが、北条義時の裏切りで比企一族が落命したために一族を葬った場所が妙本寺となりました。令和四年一月二十三日 合掌🙏追伸:三門館跡の三門とは、この地の地名の字が「三門」なのです。✳国重要文化財に指定されている阿弥陀如来像は定朝様の作りとのことですが、定朝様とは仏像を真横からみた時に背面を切り落とした様な薄めの仏像の形をしたものを云いますね😃言い替えれば、半切りした状態が定朝様ですよ😁
田舎のひなびたお寺ですが、阿弥陀三尊が平安末期に安置され国の重要文化財の指定を受けています。そこから南東に見る田影風景が綺麗で心が洗われます‼️
名前 |
泉福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0493-56-4870 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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今頃ですが!比企一族が暮らした三門館から程近いこのお寺の本尊は、鎌倉時代作の阿弥陀三尊であったことが墨書から知られており、国の重要文化財に指定されています。初代鎌倉幕府将軍源頼朝の乳母である比企尼は、下向したこの三門の地から20年間も伊豆の頼朝に米などを送り続けました。定朝様の特徴もある重要文化財の阿弥陀如来が、幕府から遠い片田舎にあるのはやはり比企一族が三門館に住まっていたからであろうか?そう考える 「鎌倉殿の13人」 のお陰で三門館跡は幟旗を立て人々に知られる事と成ったが、泉福寺は幟旗さえ見当たらなかった。(私見)せめて泉福寺の正式名称をと思いGoogle map に申請した。無住寺だが 「真言宗 智山派 八幡山 無量院 泉福寺」 と號す。比企の丘陵地にあり、泉の如く水に恵まれた田圃で福となる米を採れる地から寺の名前が附けられたのかもしれない(私見) R6.4.14