癒しの景色と歴史が息づく出雲乃伊波比神社。
出雲乃伊波比神社(板井)の特徴
板井出雲乃伊波比神社は癒される自然に囲まれている神社です。
神社に入るには小川の上の橋を渡るという独特のアプローチがあります。
延喜式神名帳に記載された男衾郡の歴史ある式内社です。
出雲乃伊波比神社(いずものいわいじんじゃ)。埼玉県熊谷市板井(旧男衾郡)。式内社(小)論社。旧村社。主祭神:武甕槌命。資料によると、平安末期に長命寺の支配を受け、室町時代の文明年間、同寺の法印良恭は、当社に鹿嶋明神を合祀した。江戸時代、旗本の牛奥氏は鹿島明神の信仰厚く、出雲乃伊波比神社の社号は隠滅した。創立年代不詳。文明年間鹿島明神を合祀。江戸時代は「氷川社・鹿島社」と称していた。明治4年10月村社。同28年8月社号を出雲乃伊波比神社改称。同40年10月神饒幣帛料供進指定。埼玉県大里郡寄居町赤浜(旧男衾郡)にある出雲乃伊波比神社と共に、式内社(小)出雲乃伊波比神社の論社。とあります。
こぢんまりした神社ですが周りの景色も素晴らしく癒されます。
板井出雲乃伊波比神社(いたいいずものいわいじんじゃ)御祭神 武甕槌命境内社 八坂神社 氷川神社 小御嶽・富士浅間神社 三峰神社 龍田神社 合殿(天満神社・神明神社・山神社・稲荷神社・富士浅間神社)由緒板井村 氷川社 村の鎮守なり【延喜式】神名帳に載る出雲乃伊波比神社なりと云 社地老杉の繁茂せるさま神古たれど たしかなる證據もなく 口碑の傳のみなり 長命寺の持下二社同じ鹿島社 是も村の鎮守なり天満宮(「新編武蔵風土記稿」参照)当神社は、延喜式神名帳に登載されている男衾郡三座のうちの一座であると伝え、鎮座地は荒川水系に属する和田川上流にあります。地内には、奈良・平安期の住居跡が確認されているとともに、隣村の大字塩では古墳群が存在しています。古代、当神社を奉斎した集団は、社名から出雲系氏族であった可能性が考えられます。これは当神社と同じ社名の、入間郡の式内社「出雲伊波比神社」や、出雲という名称こそ冠していないが、出雲系氏族の物部氏が奉斎したと思われる物部天神社と中氷川神社の存在からも窺うことが出来ます。恐らく、入間郡一帯に勢力があった出雲系氏族の一派が当地に移住し、当社を創建したと考えられます。また、祀る神は、武蔵国内の荏原郡「磐井神社」・多磨郡「青渭神社」・横見郡「伊波比神社」などの式内社同様、水源に坐す神であったと思われます。別当は、京都の聖護院末の本山派修験長命寺が明治維新まで務めました。開山は、元阿円長法印で、久安三年(1147)に寂しています。同寺の法印は、男衾・比企・幡羅・榛沢郡のうち四十八か村の修験を統轄する正年行事職で、幕末までに合わせて四十三世にわたる法印が相続しました。中でも二十七世良恭法印は、文明年間(1469~1487)当社に鹿島明神を勧請して、社名を出雲伊波比神社から鹿島社と改めました。以後、これは明治二十八年(1895)の旧社名復古まで変更されませんでした。(「埼玉の神社」参照)本神社は、もとは鹿島神社といわれていましたが、明治二十八年(1895)に出雲乃伊波比神社と改称されました。御祭神は武甕槌命で、境内には、氷川神社、八坂神社、龍田神社、稲荷神社、天満神社、神明神社、山神社、富士浅間神社などが合祀されています。社前の和田川に架けられた太鼓橋は、昔から八雲橋といわれ、この橋をくぐって子供のはしか平癒を祈願するものが多く、昭和の初め頃まで「はしか参り」が列をなしたものです。境内に祀られている神々の祭日のうち、特に七月の八坂祭りは、昔から「板井の天王様」として近在に知られ、明治四年(1871)からは、太鼓の「ヒバリバヤシ」を載せた屋台が「みこし」と一緒に板井区内をにぎやかに一巡するようになりました。(「境内案内板」参照)江南地域「板井」地名の由来平安時代の延喜式神名帳に、江南地域が属していた男衾郡内の官社として 出雲乃伊波比神社が記載されています。現在、板井地内にある伊波比神社は、江戸時代に氷川神社であったものが、明治時代に由緒を基に改めたものですが、神名帳に記載されている伊波比神社に比定される可能性は、遺跡や伝承などから高いと考えられています。「板井」の地名は、伊波比・岩比の「イワイ」のある地域と、地元や周辺地域の認識があったと考えられ、「イワイ」から「イタイ」への地名が定着したと推測されます。(熊谷市役所公式HP「江南地域について」参照)
「いずものいわいじんじゃ」は、江南台地、比企丘陵が広がる熊谷市江南地域の名所。小江川1000本桜の里山も美しい東の熊谷市小江川地区と、西の嵐山町古里地区の間、熊谷市板井地区にあるいい感じの神社です。神社前を流れる小川(和田川)沿いの遊歩道、周辺の里山風景もとてもいい感じです。 南には塩古墳群や塩の大エノキがある塩地区、さらに南には二ノ宮山展望塔が立つ滑川町の最高峰、二ノ宮山があり里山の風景が素晴らしい所なので、サイクリングや散策におすすめ。里山の道沿いの塩古墳群、塩のイチョウ木立、久保谷沼を経由してぜひ訪れてみて下さい。きっととても気に入ると思います。 東の小江川地区には、小江川1000本桜の竹の内エリアに「はげっちょ山」という北側の眺めが良い展望スポットもあります。そこもいつ訪れても楽しい所です。
小川の上に橋が掛かっていてそこを渡って神社に入ります立派な木もたくさん気持ちのいい神社です。
趣のある社の神社です。
この神社はもともと鹿島神社だそうで、明治になって今の名前になったようです。静かなところにある神社です。
延喜式神名帳の武蔵國男衾郡の項に記載のある式内社の論社の一社。神名帳の武蔵國には入間郡の項に「出雲伊波比神社」があり、男衾郡には「出雲乃伊波比神社」の記載がある。さいたま市に鎮座する氷川神社も、東京都府中市の大國魂神社もそうだが、いずれも古代、出雲臣と同族の无邪志氏(むさしうじ)が国造をしていた名残である。境内にある案内板によると、御祭神は武甕槌命である。これは江戸時代まで鹿島社とも呼ばれていたことによるもので、明治になり現在の社名に変更している。当社が式内社の出雲乃伊波比神社であるとすれば、当初の御祭神は大己貴命か天穂日命であった可能性が高い。江戸時代、鹿島社と呼ばれていたが、それ以前は氷川社とよばれていたようだ。熊谷市には修験道本山派の長命寺があり、当社はその支配下にあった。熊谷市の文化財にその長命寺の住職を勤めた篠場家文書があるのだが、その中に伊波比神の鎮座を以って、伊波比村と称していたが、後に伊多井村(現在の板井)というようになったという記事があるほか、新編武蔵風土記稿には村の鎮守である氷川社は出雲乃伊波比神社であるとの記載がある。これを根拠に明治に社名を変更した。境内には鳳凰の出現という奇妙な看板と鳳凰の木というものがある。
| 名前 |
出雲乃伊波比神社(板井) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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出雲乃伊波比神社は、熊谷市板井にある神社で神社の創建年代等は不詳ながら、入間郡一帯に勢力を持った出雲系氏族が当地移住した際に祀ったのではないかと推測され、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される「出雲乃伊波比神社」の論社となっています。本山派修験長命寺27世良恭法印が、文明年間(1469-1487)に鹿島明神社を勧請、社名を出雲伊波比神社を改めたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治28年社号を出雲乃伊波比神社を復しています。橋がかかっていて太鼓橋と言うようで、昭和初期までは子供のはしか参りがされていたようです。