小代氏館跡と青蓮寺の歴史。
常楽山青蓮寺の特徴
小代重俊の供養塔があり、歴史を感じる場所です。
県文化財の板碑の大きさに驚く体験ができます。
青蓮寺は小代氏館跡として歴史的価値があります。
小代重俊の供養塔があります!
常楽山青蓮寺は天台宗のお寺で、鎌倉時代の児玉党の武士の小代氏の館跡と伝わる。境内の南側は川があり高台にあります。青石塔婆の板碑があります。小代氏が先祖の供養のため建てたと云われています。弘安四年(西暦1281年)の銘があります。小代氏は蒙古来襲のため、肥後の国に移り戦国時代まで続く国人になっています。
駐車場が若干狭い。
県文化財の板碑の大きさに驚きました。眺めも良くきれいな境内が参詣者の心を落ち着かせてくれます。歴史を刻んできた古刹です。
ここ青蓮寺は、小代氏館跡です。境内には、小代氏の石碑があります。土塁も残ります。
| 名前 |
常楽山青蓮寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0493-35-0375 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
青蓮寺周辺は「小代氏館」があった場所と言われています。 小代(しょうだい)氏については、青蓮寺境内にある小代重俊供養塔 「埼玉県指定史跡 弘安4年銘板石塔婆」 の説明板に以下の記載あり。小代氏は、武蔵七党(横山、猪俣、野与、村山、西、児玉、丹党)の児玉党の入西資行の次男遠弘が、小代郷に住して小代を名乗ったことに始まります。 子息重康の「宝治合戦」での活躍により、重俊は宝治元年(1247)鎌倉幕府から肥後国野原庄(現熊本県荒尾市)の地頭職に任ぜられています。 当時はその地に赴かず、地頭代に所領の管理を任せていましたが、文永8年(1271)幕府から蒙古襲来に備えるため、また、領内の争いを治めるため 重俊の子息等は野原荘へ行くことを命ぜられ、小代氏一族は野原荘へ移り住んでいきます。その後、三百数十年にわたりその地で勢力を誇ったそうです。 小代氏の菩提寺となっている荒尾市の浄業寺には、一族の供養塔群が残されています。 平成16年3月 埼玉県教育委員会 東松山市教育委員会 小代氏の名はそのまま大字「正代」として、この地に今も残されています。 小代氏館は、都幾川と越辺川との間に張り出した台地の東端という地の利を得た場所に築かれていたようです。 この青蓮寺のある所が、南東端付近とされるようです。源義朝の長子悪源太源義平は、久寿2年(1155)叔父の帯刀先生源義賢(駒王丸・木曽義仲の父)を 大蔵館(嵐山町)に攻め滅ぼした時に、この地に居館を構えて居住していた。 その後家臣の小代遠弘が居住し、悪源太義平(源義平)を御霊と祀り崇敬してきたとされます。