岡崎三郎信康の供養塔。
岡崎三郎(松平信康)供養塔の特徴
西念寺に建立された五輪塔形の供養塔である点が特徴です。
徳川家康の長男・岡崎三郎信康を供養する場所として重要です。
松平信康の切腹を象徴する歴史的な背景を持つ史跡です。
岡崎三郎は徳川家康の長男。天正7年(1579)に武田勝頼と内通した嫌疑で家康から切腹を命じられした。服部半蔵は介錯を命じられましたが果たせず、岡崎三郎(松平信康)の供養のため出家しています。半蔵が開祖となった西念寺に五輪塔型の見事な供養塔が残されています。
西念寺を開山した服部半蔵が、徳川家康の長男信康(岡崎三郎信康)の菩提をとむらうため、文禄二年(一五九三)に建立した五輪塔形の供養塔です。信康は、永禄二年(一五五九)に生まれ、幼少時は今川氏の人質として駿府で過ごしました。永禄十年(一五六七)に岡崎に帰り、織田信長の娘をめとり、元亀元年(一五七〇)に岡崎城主となったが、天正七年(一五七九)に武田勝頼と内通したとの嫌疑により家康から切腹を命じられます。服部半蔵は、この時介錯を果たせず、後に信康の供養のため出家します。近くには、その服部半蔵の墓もあります。
| 名前 |
岡崎三郎(松平信康)供養塔 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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武田への内通を疑われて切腹した松平信康の墓所。元は服部半蔵が清水谷に建てた庵において弔われていたがその庵が西念寺となりここへ移るに及んでここに改葬されたと思われる。信康の遺体自体は浜松の清瀧寺と岡崎の若宮八幡宮に葬られている。