ムクノキがそびえる玉太岡神社。
玉太岡神社の特徴
新しい鳥居が印象的で、美しさが際立つ神社です。
ムクノキ(椋の木)の存在が、訪れる価値をさらに高めています。
清々しい雰囲気が感じられ、心安らぐ場所です。
近くの現場で朝早くから仕事をしていますと早朝から拝みに来る方が多いですね。鳥居も立派です。
玉太岡神社(たまふとおかじんじゃ)主祭神 天照大御神合祀神 誉田別命 菊理媛命 伊弉諾命 倉稲魂命 迦具津智命 河菜姫命境内社 八雲神社由緒岡郷 神明社 雷光寺の持、雷電社 同寺の持、以上二社共に鎮守なり(「新編武蔵風土記稿」参照)近世、岡郷と呼ばれた和田吉野川の右岸に位置する地域は、北から上岡・中岡・下岡と、三つの地区からなっています。中でも、当神社の鎮座する下岡は最も早く開発が進んだ地といわれ、その地内にあり、行基作と伝えられる十一面観音像を本尊とする光福寺は、開山の章山が永禄十年(1567)寂と伝えられる寺院です。この光福寺の境内には、国宝にもなっている元享三年(1323)の宝篋印塔があり、その銘文に「武州比企郡玉太岡四国山光福寺」とあることから、当時この地が玉太岡と呼ばれていたことが判ります。当神社は、拝殿に掛けられている古い社号額に併記されているように、神明宮と雷電宮の合殿です。但し「風土記稿」には「神明社 雷光寺の持、雷電社 同寺の持、以上二社共に鎮守なり」と記されていて、本来両社は別々の神社であったと考えられます。恐らく神明社は、近くにある上吉見領総鎮守の吉見神社(神明社)からの勧請と思われますし、雷電社はその寺名から雷光寺にかかわる勧請と考えられます。神仏分離によって、雷光寺は廃寺になり、当神社は明治四年(1871)に村社になりました。この時、宝篋印塔にも刻まれた当地の古称である「玉太岡」を採って、玉太岡神社と改称しました。本殿は神明造りで、嘉永五年(1852)に再建されたものといわれています。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)東松山市指定天然記念物「玉太岡神社のムクノキ」玉太岡神社の境内には、樹齢三百~四百年と推定され、幹周り約5.2m、樹高約25mの市指定天然記念物のムクノキと、幹周り約3m、樹高約20mのカヤがあります。古き時代から神を迎える依り代として、木は大変重要視され、その名残が御神木として今日も大切にされています。(サイト「ぶら~り東松山 観光情報」参照)社殿前の石燈籠は、享保八年(1723)霜月に奉納された「巳待供養塔」です。巳待塔は、十二支の巳の日、あるいは干支の己巳の日に弁才天を祀り、福徳や家内安全、豊作などを祈念する巳待講によって造立された石塔です。巳の日、あるいは特に己巳の日に行う講行事を巳待といいます。巳(蛇)は弁才天の使いと考えられ、巳(蛇)は脱皮して成長することから穢れを払う信仰にも繋がっています。また、弁才天の信仰とは関係のない日待や月待を巳の日に行う巳待講もあります。(Wik参照)
鳥居が新しいな。本殿のほうに狛犬さんが隠れています。
ムクノキ(椋の木)は見る価値あり。近場の人であれば、ブラッと行ってみましょう。
気持ちのいい神社です。
名前 |
玉太岡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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たまふとおかじんじゃ大きなムクノキがあります。