歴史を感じる石田堤の公園。
石田堤史跡公園の特徴
現存・修復された石田堤は、水攻めのために築かれた歴史的な遺構です。
新幹線高架下では自動解説が流れ、訪れる人に分かりやすく歴史を伝えています。
小学校の時に社会科かなんかの授業の一環でいきました。あの有名な石田三成が忍城を水責めした際に作った土手らしいです。当時は忍城も水攻めも有名じゃなかったですが、映画ののぼうの城を機に一役有名に。埼玉を代表する史跡です。
駐車場は広く、無料でした。公園も、きれいに整備されておりゆっくりできるところです。
石田三成が忍城を水攻めするために築いた堤です。
石田三成の忍城水攻め。堤の跡がわりと綺麗に残っている。見て分かった事は正直高さが大した事なく、忍城が窪んだ土地にない限りは水没しきれなさそう、、と思われました。とはいえ長さ14キロの堤を5日でつくるとは。普請奉行としての三成はピカイチだったことは体感できました。
忍城攻めの際の水攻めで使用した石田堤跡です。元々の地形を利用して堤を築いたみたいですがわずか5日で14キロあまりの堤を作るとは驚きですね。
石田堤史跡公園にやってきました。こちらを訪問するにあたり、友人からアドバイスをもらい、映画『のぼうの城』を再視聴してきました。なるほど、映画を見たことでイメージの湧き具合に差が出ると思います。石田堤松並木北側の駐車場に車を停め、石田堤を右手に見ながら石田堤史跡公園まで徒歩数分で到着します。1590年に石田三成が忍城を水攻めした際に築いた堤跡を中心とした史跡公園です。高架下にあるシンボルモニュメントの中では、堤の構築の様子を音声で説明する仕掛けがあったり、当時の書状をパネルにしてあったり、堤の断面が見れたりと、なかなか楽しめる施設もあります。案内板内容県指定史跡石田堤昭和34年3月20日指定この堤は、天正18年(1590年)6月、忍城水攻めのために石田三成によって築かれたことから、石田堤と呼ばれています。天正18年3月に始まる、豊臣秀吉の関東平定に伴い、北条氏に味方する成田氏の居城である忍城は、同年6月、石田三成、大谷吉隆、長束正家らによって包囲されてしまいます。石田三成らは、地形を見て忍城を水攻めすることにし、全長28kmに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと言われています。実際には自然堤防や微高地 を巧みにつなぎ合わせたものと思われ、現在残っているこの堤も、自然堤防上に1~2m程盛土をしたものです。こうして堤が完成し、利根川や荒川の水を引き入れたのですが、地形的に、忍城や城下町よりも下忍・堤根方面に水が溜まってしまい、遂には堤が決壊 し、水攻めは失敗に終わります。しかし、北条氏の降伏により、忍城は開城するのです。現在はここ堤根に約250mの堤を、残すのみですが、江戸時代、日光裏街道沿いに植えられた、樹齢300年余の松や檜葉が並ぶ様は、往時をしのばせる、貴重なものと言えましょう。平成元年3月石田堤を守る会埼玉県教育委員会行田市教育委員会。
歴史好きには有名な、「のぼうの城」忍城水攻めの石田堤。重機も無い時代、5日で利根川から荒川まて堤をつなげる土木工事。本当凄いです。公園の近くには、堤を破り水攻めを失敗させた箇所に橋があり、その名も「堀切橋」なるほど!こちらは土木遺産に認定されてるそうです。歴史深い行田の街をぶらりと散歩するのは良いですね。近くに駐車場もありますが、道が狭いので車の方は歩行者に気をつけてください。
石田堤を農民が決壊し忍城を救ったと信じていました。台風や豪雨で、耐えられずここが決壊したと書かれてあります。しかし、こんな離れた地に堤防を築く必要があった理由が知りたい。こんな広範囲が水没してしまったら、農民たちいい迷惑だったって想像します。
石田三成が生涯の大失敗をしでかしたところに公園があるんだけど、水攻めの堤防が途切れたところがいまも「堀切川」とされ、その上に悠然と新幹線の高架がある。これぞ、、、、、栄枯盛衰!素晴らしい!
| 名前 |
石田堤史跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
048-597-5581 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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戦国時代の天正18年(1590年)、石田三成は忍城を攻め落とすため、城を半円形に囲む堤を築き、利根川・荒川の水を引き込む水攻めを行いました。この水攻めは失敗しましたが、現在でも堤の一部が堤根に残されています。