古墳の跡で歴史の息吹を感じる。
舟塚古墳跡の特徴
昭和45年に市指定史跡に認定された古墳跡です。
歴史を感じることができる珍しい場所となっています。
舟塚古墳跡の魅力を体感してみてください。
木々が鬱蒼として光の届かない場所です。そして、全く見るべきところもない遺跡です。地元の人の小屋やお墓があり、侵入するのも気が引ける感じです。“ああ此処が話にある古墳と言われる場所なのか!”この程度で納得すべき所です。写真も撮りましたが全くよくわかりません。❶【参考 舟塚 芳野村郷土誌稿 1971年】舟塚享保年間(1716年~1736年) 名主_治兵衛が発掘して墓であると知る。その後一切は忘れられ、何の塚であるかさえ忘れ去られる。風土記に里人の談として記されているのを見ても明らかである。この古墳に関して、明らかにすることが難しいといわれている理由を下記に記す。①何らかの文献が存在しない。風土記、入間郡誌にも特になし②里人に一切の伝承がない③古墳が原型をとどめぬまでに破壊されている。塚の上に“舟塚明神”という小祠が祭られている。❷【参考 舟塚 武蔵風土記】舟塚里人舟塚というけれども、其の名のゆえんは伝わっていない。又、マガタマ、陶器などこの辺りより掘り出したといわれている。(タマ〃陶器と記されているが、マガタマと思われる。)思うに古き世の人の墳墓だろう。享保の頃、名主_次兵衛というものがおのれで家屋を修造するときに此の塚を掘り崩して、掘りすすめると下に石棺があった。その蓋石(ふたいし)を開いてみると、朽ちた太刀などあった。とある。又、蓋石(ふたいし)の裏面に“四ツ目結びの形”が彫られていた。その中に朱をさした様子があった。これその家紋であろうとおもわれるが、今は誰のお墓であるかわからない。~云々・・省略。
周囲を歩くと、前方広円墳かな?とおもう。イメージがわかない。
古墳の跡です。小学校の跡でもあります。
説明板には舟塚古墳跡となっているが、墳土は結構残っている。本古墳の南にはGoogle Mapには「円乗寺庫裡」がある。また古墳の北側は墓地になっており、墓石を見るとみな坊さんの墓のようなので、円乗寺の歴代住職の墓地だったのだろう。
市指定史跡(昭和45年1月12日)
| 名前 |
舟塚古墳跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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川越市指定記念物 史跡(1970年1月)。古くから知られ『新編武蔵風土記稿』や川越氷川神社祠官山田衛居の『朝日之舎日記断簡』また『入間郡誌』で上老袋の古墳として紹介されている。それらによると埋葬施設は箱式石棺と推定され、大刀、鉄鏃、耳環(じかん)、ガラス玉、馬具などが出土していた。埴輪の出土も伝えられているので6世紀代の古墳とあります。