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名前 |
藤間神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
藤間神社(ふじまじんじゃ)御祭神 倉稲魂命相殿 雷電神社 浅間社 塞神社由緒藤間村 稲荷社 村の鎮守なり 真名板村花蔵院持雷電社 持同じ(「新編武蔵風土記稿」参照)藤間(とうま)の地は、見沼代用水(星川)をはじめ数本の用水が北西より南東へ貫流し、雨量が多い時には溢水に遭うほどの低地ですが、平素は「藤間さんまで米の飯、小針はヤキビン(余り飯にうどん粉・味噌を加え焼いたもの)砂ヤキビン云々」と言われるほど肥沃な土地です。古く、当地には五ノ口の稲荷神社(当神社)と一ノ口の雷電神社の二社があり、「風土記稿」によると、両社とも江戸期には真名板村の真言宗花蔵院が管理していて、稲荷神社が村の鎮守として信仰されていました。祭りは、稲荷神社が二月初午、雷電神社が七月二十五日となっていました。明治初めの神仏分離により、寺の管理を離れた両社は、稲荷神社が無格社、雷電神社が村社と格付けられました。明治四十年(1907)に、稲荷神社境内の右側に雷電神社を合祀し、雷電神社末社の浅間社・塞神社を境内に合祀しました。これにより旧来の社名稲荷神社を地名から藤間神社と改めました。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)鳥居前の龍に乗った天女像は、明和八年(1771)建立の「大弁才天女像」です。奥州金華山とあり、龍の上に乗り、剣と宝珠を持ち、頭上には鳥居、下に眷属を二人従え、一人は勝軍地蔵です。経典供養塔を兼ねています。(サイト「見沼代用水 石仏と祠」参照)