朝の静けさ、真名板久伊豆神社で。
久伊豆神社の特徴
周囲は広大な畑に囲まれ、自然を感じる場所です。
鎮守様として親しまれ、地域に根付いた神社です。
加須市騎西の玉敷神社が本社で歴史的な背景を持っています。
周りは、畑です。静かです。
朝、早く行くといいです。
鎮守様とも言ってます。今日は大祭で旗立て、清掃を当番組で行いました。
加須市騎西の玉敷神社を本社とし、元荒川流域に分布する久伊豆神社の一社。別当は花蔵院(廃寺)で、県道を挟んだ南側の薬師堂がその境内である。薬師堂には現在も立派な楼門が残されており、往時は相当な大寺であったと思われる。
名前 |
久伊豆神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
|
HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

真名板久伊豆神社(まないたひさいずじんじゃ)御祭神 大己貴命由緒上真名板村・下真名板村 久伊豆社 村の鎮守なり 花蔵院持(「新編武蔵風土記稿」参照)当神社の鎮座する真名板の地名は、水門の堰の戸に取り付けて、その戸を下ろすのに用いる框(かまち)を俎板木(まないたぎ)ということと、隣接する関根の地名からも、古くはこの地に星川の堰があったことに由来すると考えられています。真名板久伊豆神社の由緒は不祥です。境内近くに真名氏の館跡と伝える花蔵院通称薬師堂があり、社より寺の方が古いかもしれぬと氏子は伝えています。正式には真言宗薬王山花蔵院と称し、現在は曹洞宗全龍寺が管理しています。「風土記稿」によると花蔵院が当神社の別当でした。明治年間に花蔵院が焼け、関係文書も焼失してしまい、近世以前の事が全く不明となってしまっています。「明細帳」によると、主祭神は大己貴命で、明治四年(1871)に村社となり、同四十一年(1908)に上・下耕地の八坂社、三ツ家の浅間社を合祀しています。しかし、この合祀では、下耕地の八坂社は移転せず、浅間社は薬師堂隣接の高山古墳上に移されています。また、上耕地の八坂社は境内に合祀され、現在の社号標傍らに移されていましたが、老朽化のため昭和二十年(1945)に取り壊されています。社殿は明治二十年(1887)に焼失し、その五か月後に仮殿を設け、同二十八年(1895)に再建されました。なお口碑によるとこの時、拝殿は他村より購入し、解体して運んできたといわれています。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)