日本橋横山町で見つける新たな魅力。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
中橋狩野家屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
日本橋横山町のオフィスビルが並ぶ一角。狩野派の宗家と浮世絵の大家が「お隣さん」として切磋琢磨していた場所の跡です。ここは幕府御用絵師の総本山である「中橋狩野家」の屋敷跡。初代・狩野安信は、天才肌の兄・探幽の陰で「自分は非才である」と自覚し、型を学べば誰でも一定の質に達するという教育体系「画道金剛杵」を打ち立てた努力家でした。案内板には、この地から絵師たちが実際に使っていた「絵の具を溶いた跡のある小皿」が多数出土したと記されています。それは、安信が説いた地道な型の修練が、この地で3百年もの間、綿々と繰り返されてきた何よりの証拠です。その隣には「歌川広重」の屋敷が隣にあったことを伝える案内板が立っています。風景画の大家として知られる広重ですが、実は初期の美人画では「才がない」と評され、苦悩した時期がありました。そんな彼に、絵画の骨格となる「型」を教えたのが、中橋狩野家の流れを汲む御用絵師・岡島林斎だったのです。「自分には派手な才能がないかもしれない」と悩みながらも、お隣の狩野家の教えを吸収し、地道に筆を動かし続けた広重。彼が後に叙情豊かな名所図で開花した背景には、この場所で日々、絵の具を溶き続けた名もなき絵師たちと同じ「不屈の精神」があったのではないでしょうか。高いビルに囲まれ、日の光も届きにくい路地裏。二つの案内板を繋ぎ合わせて眺めると、出土した小さな皿の一枚一枚に込められた、絵師たちの執念と情熱が鮮明に浮かび上がってきます。東京の片隅で、江戸の「日の目の当たらない身でも努力することの凄さ」に触れられる、足を運びたくなる努力の跡です。