河村瑞賢の足跡を辿る。
河村瑞賢屋敷跡の特徴
墨田川の河口近くに位置しており、歴史的な海運の拠点です。
三井家が伝えた『町人考見録』に登場する河村瑞賢のゆかりの地です。
ホテルヴィラフォンテーヌ東京茅場町の目の前にある便利な史跡です。
趣味で三井家が後世に伝えた『町人考見録』の現代語訳版を読んでいたら、26の箇所にこちらの河村瑞賢の話題が出ていました。「もとは紀州熊野辺のいやしい者であったが」という出自から、相当な知恵や才覚で江戸時代でも名を馳せた大商人になった大変ユニークな人物です。そちらに「隋見は町人のとき霊岸島(中央区霊岸島)の自宅に住んだ」とありました。案内板には「南新堀一丁目(当該地域)」とありますね。茅場町駅からは、永代通り沿いにあるホテル「ヴィラフォンテーヌ東京茅場町」さんを目印にしていくと良いかと思いますよ。
墨田川の河口に近い新川は海運の拠点として発展した。河村瑞賢が開いた海運で有名なのは山形の酒田と大阪や江戸へのルート。江戸が消費する酒が新川に荷揚げされたため、今でも酒や酢などの関係会社が多い。現在は中野にあるキリンビールの本社も、2013年まで新川にあった。
街並みに全く馴染んでおり、長年気づきませんでした。信号待ちの際発見。江戸の火事の際、木材を買い占め財を成した商人の屋敷跡とのこと。今それを偲ばせるものはこの看板のみですが、新川(この名前が付く川は大抵開削されたもの)はこの人が開いたそうです。晩年には米の海上輸送ルートの確立など様々な功績により旗本に列せられたとの事。夢があります。財を成したら何に使うべきか、考えさせられる史跡でした。
| 名前 |
河村瑞賢屋敷跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ホテルヴィラフォンテーヌ東京茅場町の前にある河村瑞賢屋敷跡の説明版です。---河村瑞賢屋敷跡所在地 新川一丁目八番地江戸時代、この地域には幕府の御用商人として活躍していた河村瑞賢の屋敷がありました。河村瑞賢(六一八~一六九九)の屋敷がありました。瑞賢は伊勢国の農家に生まれ、江戸に出て材木商人となりました。明暦三年(一六五七)の江戸大火の際には木材の材木を買い占めて財をなし、その後も幕府や諸大名の土木建築を請負い、莫大な資産を築きました。また、その財力を基に海運や治水など多くの事業を行いました。瑞賢の業績の中でもとくに重要なのは、奥州や出羽の幕府米を江戸へ廻漕する廻米航路を開拓して輸送経費、期間の削減に成功したことや、淀川をはじめとする諸川を修治して幾内の治水に尽力したことがあげられます。晩年にはその功績により旗本に列せられました。斎藤月岑の『武江年表』によると、瑞賢は貞享年間(一六八四~一六八八)頃に南新堀一丁目(当該地域)に移り住み、屋敷は瓦葺の土蔵造りで、塩町(現在の新川一丁目二十二番地)に入る南角から霊岸島半丁一円を占めていたと記されています。表門は今の永代通りに、裏門はかつて新川に面し、日本橋川の河岸に新土蔵四棟があり、広壮な屋敷を構えていたようです。『御府内沿革図書』延宝年間(一六七三~一六八一)の霊岸島地図を見ると、瑞賢が開削したとされる堀割に新川が流れ、その事業の一端を知ることができます。中央区教育委員会平成十五年三月。