歴史を感じる直虎ゆかりの神社。
蜂前神社の特徴
伊井直虎ゆかりの古社で、歴史を感じる参拝ができる神社です。
国道沿いに位置し、アクセスが良く訪れやすい場所にあります。
大河ドラマおんな城主 直虎に関連する貴重な古文書を所蔵しています。
A small, slightly lonely, shrine that is generally unmanned. Like a lot of the shrines and temples in Hamana Ward in Hamamatsu, this shrine has close links to Ii Naotora, an important historical figure and featured in Japanese Taiga dramas. There is a pre-written goshuin available from the building to the left.普段は無人で、小さくて少し寂しい神社。浜松市浜名区にある多くの神社や寺院と同様に、この神社も大河ドラマにも登場する歴史上の重要人物、井伊直虎と深いゆかりがある。左手の建物で、書き置きの御朱印をもらえる。
参拝者用の駐車場があり、車を停めさせて頂き参拝した。静岡県浜松市細江町にある。 入口の鳥居は、あまり大きくはないが、境内の懐は深い。参道を歩くと、境内後方へ登る階段があるので、後で登ってみることにして、境内へ。数段の階段を登ると、正面に拝殿があり、社殿の左側に境内社が幾つか並んでいる。 拝殿後方の本殿は、覆屋の中。拝殿の中をのぞくと、奥に本殿があり、左右に脇宮の祠も確認できる。 社殿の後方の丘の上に、祠らしきものが見えるので、先ほどの、参道入口にある階段まで戻って、登って見ると覆屋の中に、小さな祠が祀られていた。落ち着いた、静かなお参りができた。
神社の由来によると応神天皇の時代、八田毛止恵(はったもとえ)という役人が勅命を受け遠江国に下向し、この辺りを開墾し八ヶ前(はちがさき)に勧請したのが始まりとされている。当初、祝田(ほうだ)村は八田と呼んでいたらしく、おそらく役人の名前に由来していたと思われる。もとは社神名も「八ヶ前」神社だったのだろうか。神社境内を登って行くと「蜂、まむし注意」の看板があり、蜂が多かったので後世に「蜂前神社」に変わったのかもしれない。応神天皇の時代、百済から多くの秦氏が渡来し、機織、土木技術などを伝えた。八田毛止恵も秦氏の一人だったのかもしれない。その後、子孫代々祝部として奉仕したとされる。祝田郷は井伊谷に近く、その後井伊家の支配下におかれ、「おんな城主直虎」で有名になった直虎直筆の花押のある徳政令が唯一この神社に残っていることでも有名となった。
何処か神社で、行くとこないかなぁと探していたら、ココに辿り着来ました。浜松市は家康さんにゆかりがある場所けっこうありますよね。地元だったからなんだけど…着いて第一印象は、こぢんまりした所だなと思いました。駐車場も舗装はされてませんが、充分に、台数が停められると思います。本殿は、地域の小さな氏神様を祭った神社といった感じでした。
神社の由来によると応神天皇の時代、八田毛止恵(はったもとえ)という役人が勅命を受け遠江国に下向し、この辺りを開墾し八ヶ前(はちがさき)に勧請したのが始まりとされている。当初、祝田(ほうだ)村は八田と呼んでいたらしく、おそらく役人の名前に由来していたと思われる。もとは社神名も「八ヶ前」神社だったのだろうか。神社境内を登って行くと「蜂、まむし注意」の看板があり、蜂が多かったので後世に「蜂前神社」に変わったのかもしれない。応神天皇の時代、百済から多くの秦氏が渡来し、機織、土木技術などを伝えた。八田毛止恵も秦氏の一人だったのかもしれない。その後、子孫代々祝部として奉仕したとされる。祝田郷は井伊谷に近く、その後井伊家の支配下におかれ、「おんな城主直虎」で有名になった直虎直筆の花押のある徳政令が唯一この神社に残っていることでも有名となった。
2017年8月11日参拝。なんだったっけなあ、直虎か何かのブームがあって変に賑わっていた記憶があります。大きくて由緒ある神社ということで、ボランティアガイドのおじいさんが数名いたんですが、そのうちの一人がすごく面白かった(ここではとても書けないことを色々教えてくれたわけです)。あの爺さん、まだいるかなあ、また会いたいもんです。由緒は次のとおりです。蜂前神社の由来祭神 本社 熿速日命左脇宮 甕速日命右脇宮 武甕搥命由緒15代應神天皇11年庚子3月8日(西暦280年)に八田毛止恵と云う人が勅命によって遠江國に下向して八田(祝田村の古名)45町廣田(刑部村の古名)70町岩瀬(瀬戸村の古名)8町3反合計123町步余りを開墾して本社を八ヶ前に勧請して蜂前神社と齋き奉り子孫代々祝部として奉仕しました脇宮二社は19代允恭天皇の御代に勧請されその頃から社号は鳥飼神社、羽鳥大明神と称へられ延長5年(西暦927年)峰前神社と改め古名に復しました延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社であります昭和五拾五年拾月 之建(境内由緒書)応神天皇十一年三月八日(西暦二八十年)八田毛止恵という人が勅命によって遠江国へ下向して、八田(祝田村の古名)四十五町広田(刑部村の古名)七十町岩瀬(瀬戸村の古名)の八町三反合計百二十三町歩余りを開墾して本社を八ケ前(さき)の地に勧請して蜂前神社と斎き奉り子孫代々祝部として奉仕しました。脇宮二社は十九代允恭天皇の御代に勧請され、その頃から社号は鳥飼明神、羽鳥大明神と称えられ延長五年(西暦九百二十七年)蜂前神社と改め古名に復しました。延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社であります(書籍からの書き写し。ソース失念)
長月 晴れの参拝派手さはないが清く落ち着いた感じの神社さんでした御朱印は書置きで、御朱印帳は毎月第一日曜日と神事の時に神職の方が居るらしいので、その時に購入できるそうです。
平日昼前に行ったらほぼ人はいませんでした。防災センターの裏に駐車場があり、広くて停めやすいです☺蝉がすごく鳴いていました。御朱印は500円入れてケースから頂いてきました。天皇宮は階段を上がったところにありました。夏場でしたので汗びっしょりです。小さな子供でも何とか登れる階段でした。あちこちにスズメ蜂とマムシの看板が立てられていて怖かったですが遭遇しませんでした😊大きくない神社ですが、なんだか優しい雰囲気な場所で行って良かったなと思えました。蜂前神社に行った今日は8月8日だと家に帰ってから気付き驚きました🐝笑。
2021/10/03。蜂前(はちさき)神社駐車は境内の手前、神輿が入る倉庫付近を利用。氏子の方々が祭りの準備か片付けをやっているようだった。車から降りてすぐ鳥居近くに乳於母命神社(ちおもみことじんじゃ。御朱印あり)拝殿の中にも氏子の方々や神主さんらしき人が集まっており活気があってよろしかった。御朱印は社務所の入口で無人式。拝殿に向かって右の坂道を登ると天王神社に続いている。元々羽鳥(はとり)大明神といい、秦氏関係の神社説があるらしい。
| 名前 |
蜂前神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
蜂前神社(はちさきじんじゃ)。静岡県浜松市北区細江町中川。式内社(小)、旧郷社。主祭神:熯速日命 左脇宮:甕速日命 右脇宮:武甕槌命資料によると、社伝によると、応神天皇十一年三月八日、八田毛止恵(ハッタモトエ)という者が、勅命により、遠江国へ下向し、八田(祝田の古名)の45町、広田(刑部の古名)の70町、岩瀬(瀬戸の古名)の8町3反、合せて123町余りを開墾し、八ケ前の地に勧請し、蜂前神社と称していたという。以後、八田毛止恵の子孫が祝部として奉祀を続けていた。また、左右の脇宮2社は允恭天皇の御代の勧請といい、その頃から、鳥飼明神、羽鳥明神と呼ばれるようになった。三代実録には、「遠江国鳥飼神」に従五位下の神階が授けられてとある。社号は当初八ヶ前(ハチガサキ)の地名によって蜂ヶ前(ハチガサキ)と称したが、允恭天皇以降は鳥飼(トリカイ)神社または羽鳥大明神(ハトリダイミョウジン)と称え、延長5年更に蜂前神社と改め古名に復した。とあります。