歴史を語る大和郡山城。
郡山城跡の特徴
大和郡山城は、広々とした景色と圧巻の石垣が魅力的な史跡です。
復元された追手門や東隅櫓は、建物好きにはたまらないスポットです。
桜の時期にはお城祭りも開催され、特に絶景が楽しめます。
梅雨明け晴天の土曜日、猛暑のためか、人は少なめでした。平山城ながら天守跡からの眺めが良いです。安全確保のために必要なのでしょうが、石垣に手摺がある分、雰囲気を損なっているようにも感じました。
2025年5月25日訪問。御城の跡ということでこれと言って見どころはないですが静かで見晴らし良くて想いに耽ることができます。無料駐車場がありますが分かりにくいかも。散策道の途中で新しく清潔な休憩所とトイレがありました。無料で使わせてもらうのが申し訳ないくらいです。
令和7年4月5日訪問お城まつりが開催されていました。桜がとても綺麗でした!天守台からの眺望も最高でした!来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長の居城だったんですね。放送開始となれば、来年はもっと大勢の人が来て賑わいますね!
大和郡山城跡立派な石垣が歴史を物語っています「転用石材」石材には石仏や寺院の礎石、五輪塔など石塔の部材を転用した石材が多数あり、その数は1000以上あるとされ、本丸や天守台の石垣に特に集中しています。天守台の「さかさ地蔵」や「伝・羅城門礎石」が著名で、石材不足に苦心した築城時の様子が伝わってきます。(パンフより抜粋)豊臣秀吉の弟、秀長が天正十三年(1585)に入城「令和8年 NHK大河ドラマ」のロケ地の1ヶ所です城内の桜が咲きとてもきれいでした(2025/3)
12月10日☀️8年前お城祭りに孫と行きましたが 人がいっぱいで その孫が「お城行こう」😯12月なのに 暑い日🧒🧒「わぁ~ 石がいっぱい 昔の人は どないして石積んだんやろ」「石の上にお城があって その下に広い川やな~😵」説明して下さる方もおられます。静かに 観て上まで皆で上がって 美しい景色 ゆったりとした時間でした。🧒🧒は極楽橋を何度も歩いて楽しかったらしいです☺️「いつ せめてくるかわからない時代もあったんやで 」質問されるたびに ❓️😣帰り お城のラキューと図鑑を買う約束✨🎄✨🎅次は大阪城?和歌山城?😌
豊富秀吉の弟、秀長の最後の居城。秀長の領国は紀伊・大和・河内で約110万石となっていたそうです。1591年1月22日、豊臣秀長は大和郡山城内で病死。享年52。
紅葉の桜の葉は散っていましたが、桜の仄かな香りがしていました。立派なお堀から城趾までボランティアガイドさんに案内してもらい、歴史的なことも教わりました。次はお花見に来たいです。
今年の4月に郡山城に行ってきました。桜が綺麗に開花しており、天気も晴れていましたので、奈良市内も綺麗に見えました。郡山城は豊臣秀長、豊臣秀吉の弟ですが築城しました。豊臣秀長は戦略家や統治能力、内政、外交、全てに優れておりますが日本史上10万もの大軍を動かした数少ない人です。それ以上に優れているのは人間関係を調整出きる数少ない人です。温厚な人柄で人の長所を見極める事も優れており、秀吉と大名や家臣の架け橋にもなれ民衆にも非常に慕われた人です。豊臣秀長は秀吉と同じ農民出身でしたので読み書きや兵法など多忙な間にも少しでも覚えられるように努力した人でもあります。公の場所では兄秀吉の前では弟ではなく家臣として常に公私混同をわきまえた人でもありました。現代の人間関係や会社員として、管理職としても御手本になります。秀長が亡くなると秀吉を止められる人が居なくなり豊臣家が衰退するきっかけともなりました。
今晩 15夜の月を観に 観月会に参加しました。夜の空は 晴れわたり とてもきれいな お月さま。記憶にのこる夜となりました。天守台はオレンジ色に ライトアップ。認知症の方々を 応援する カラーなんだって。🎑🎵
名前 |
郡山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0743-53-1151 |
住所 |
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HP |
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/soshiki/chiikishinkoka/kanko/2/1630.html |
評価 |
4.0 |
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近鉄郡山駅より徒歩10分位の所にある、続日本百名城。戦国時代の野面積み石垣が良好な状態で残る、全国でも貴重な城跡。柳澤美濃守吉康公は、川越城や甲府城を統治したのち郡山城の城主となり郡山藩を治めることに。桜の名所としても有名。