堀切の美しさに驚愕!
滝山城跡、本丸と中の丸を隔てる堀切の特徴
滝山城跡では本丸と中の丸を隔てる堀切が特に印象的です。
本丸へ向かう山道で突然出会う橋は魅力的な景観です。
立派な堀切が残る史跡で、歴史を感じられる場所です。
滝山城跡の本丸と中の丸の間には、両者を大きく隔てる堀切が残されています。堀切とは、尾根や曲輪の間を人工的に掘り切り、敵の進入を妨げる防御施設です。滝山城では、この堀切によって城の中枢部である本丸と中の丸を分離し、さらに一段高い防御線を築いていました。この堀切を訪れたら、ぜひ思い浮かべたいのが、永禄12年(1569)の武田信玄による滝山城攻撃です。この戦いの詳細は『甲陽軍鑑』などの軍記物に記されているものが中心で、実際に武田軍が城内のどこまで攻め込んだのかについては、現在も確定していません。八王子市も、戦闘の具体的な状況は「定かではない」としています。とはいえ、『甲陽軍鑑』には、北条氏照が二の丸曲輪の門に上って指揮し、その下に武田勝頼が三度攻め寄せたという激しい攻防が伝えられています。つまり、少なくとも伝承上では、武田軍は滝山城のかなり深いところまで迫ったことになります。ただし、ここで注意したいのが、「武田軍が本丸まで攻め込んだ」と断定することはできないという点です。二の丸より内側には中の丸、さらにその先には本丸があり、その間にはこの堀切が存在します。もし攻め手が二の丸を突破して中の丸へ進んだとしても、さらに本丸へ向かうには、この堀切を越えなければなりません。現在は本丸と中の丸を結ぶ引橋が架けられていますが、ここにも滝山城の防御思想がよく表れています。堀によって本丸への通路を限定し、橋を渡る場所を絞ることで、敵が一斉に本丸へ押し寄せることを防ぐことができます。さらに、本丸側から見れば、堀を挟んで進んでくる敵を迎え撃つことができます。堀は単なる「溝」ではなく、敵の移動を制限し、攻撃を受ける場所を城側がコントロールするための仕掛けだったのです。この構造を考えると、武田軍の攻撃を伝える逸話が、より現実味を持って感じられます。外側の曲輪を突破し、二の丸へ迫ったとしても、その先には中の丸があり、さらに本丸との間には堀切が待ち構える――。一つの防御線を突破しても、次の防御線が現れる。これこそが滝山城の大きな特徴です。なお、現在の東京都の保存活用計画では、発掘調査によって引橋地点で空堀が確認され、本丸側では地表下約110cmから敷石の通路が確認されたことも記録されています。つまり、現在見えている地形だけでなく、地下にも城の構造を裏付ける遺構が残されているのです。本丸と中の丸の間に立つと、単なる「堀跡」に見えるかもしれません。しかし、ここを武田軍がもしさらに城の奥へ迫ってきたら、最後に本丸を守るための重要な防御線だった場所と考えると、見え方が大きく変わります。実際の戦闘がこの場所まで及んだかどうかは断定できません。それでも、二の丸で激しい攻防があったと伝わる1569年の戦いを念頭に、この堀切と本丸・中の丸の位置関係を眺めてみると、滝山城がなぜ「関東屈指の土の城」と評価されるのかがよく分かります。橋を渡る前に一度立ち止まり、深く刻まれた堀を眺めてみてください。「もし武田軍がここまで来ていたら、城兵はこの堀をどう使って本丸を守ったのだろう?」そんな想像を巡らせることができるのも、滝山城跡を歩く醍醐味の一つです。
本丸へ向かう山道を歩いていると、突然、橋が現れます。
| 名前 |
滝山城跡、本丸と中の丸を隔てる堀切 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
立派な堀切です。