内村鑑三旧蹟を巡る午後のひととき。
内村鑑三の柏木聖書講堂(今井館)旧蹟 内村鑑三終焉の地の特徴
内村鑑三の柏木聖書講堂は、公式な新宿区指定史跡です。
大久保通り沿いに歴史を物語るプレートがあります。
旧蹟の痕跡が2ヶ所存在し、歴史的価値が高いです。
先に投稿しておられる方がご指摘のように、もう1か所、柏木の聖書講堂が移転をせざるを得なくなった理由となった都道(大久保通り)沿いにプレート(写真のもの)があり、こちらが公式(新宿区指定史跡)のものになります。一方でこの場所に建てられたものは個人の方によるものであくまで私的なものです。とはいえまったく場所外れということではないようで、2か所にあることで、まさに都道が出来たことによって元の土地が分断され、聖書講堂も移転せざるを得なくなったという事情がよくわかるという点では必要なものであるのかもしれないとも思います。
この付近には、内村鑑三旧蹟の痕跡が2ヶ所あります。Googleマップが示しているのは、南側の「内村鑑三の柏木聖書講堂(今井館)旧蹟」の碑が立っている場所です。2011年に、俳諧者、俳画者の打田峨者ん(内田峨)さんが立ててくださったようです。それとは別に、もうすこし北側(新宿区北新宿3-10-1)にも、新宿区指定史跡「内村鑑三終焉の地(今井館聖書講堂跡)」の解説プレートが2017年に設置されました。なぜ、2つの痕跡があるかというと、もともと柏木聖書講堂(今井館)が建っていた場所は、区画整理(正確に言うと、都道433号の開通工事)のために分断されてしまったからです。古地図をもとに判断すると、聖書講堂があった場所(東京府豊多摩郡淀橋町柏木919番地)は、どちらかと言えば、北側の新宿区指定史跡の解説プレートがある場所に近いはずです。では、南側の「旧蹟」の碑は何か?というと、これは、蜀江坂を登って、畑の向こうに内村邸(後に聖書講堂に増築)が見えてくるポイントを示しているのではないでしょうか。現在は住宅地になっていますが、昔は、畑の中に内村邸があったようです。斎藤宗次郎が上京したときのエピソードとして、斎藤が内村とともに南側から蜀江坂を登っていくと、芋畑の向こうに内村邸が見えてきた、と書いてあります。※国際基督教大学の内村鑑三記念文庫デジタルアーカイブ 内村鑑三写真帳Ⅰ「1908年(明治四十一年)秋 内村家柏木新宅(左方)」の写真が、まさに、この「旧蹟」の場所で撮られたのではないかと推測しています。現地で、イメージしてみてください。住宅地(かつては芋畑)の向こう、北東側に柏木聖書講堂があったはずです。
| 名前 |
内村鑑三の柏木聖書講堂(今井館)旧蹟 内村鑑三終焉の地 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.imaikankyoyukai.or.jp/public_html/seisyokodo.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒169-0074 東京都新宿区北新宿1丁目29−6 espacio 柏木 |
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プレートの碑が立っています。