童謡の木、ハゼノキのある公園。
童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木の特徴
童謡ちいさい秋みつけたの誕生地であり、歴史を感じる場所です。
サトウハチローが過ごした上野・桜木町からの移転先としても知られています。
風情ある向ヶ岡弥生町に位置し、懐かしい文化を楽しむことができます。
「ちいさい秋みつけた」は、私も小学生時代に音楽の時間で歌ったような記憶がありますね。文京区教育委員会の解説プレートによると、掲載された歌は三番だそう。うーん、なぜ一番じゃないのだろう? 折角なので、一番から全部掲載しても良いと思うのですが・・・。作詞家の故サトウハチロー氏の転居先の自宅(向ヶ岡弥生町。現:文京区弥生町)の仕事部屋から良く見えたのが「庭のはぜの木」だったそうで、「ちいさい秋みつけた」の歌詞は、ここから着想を得たようですね。
童謡『小さい秋みつけた』3番の歌詞の「ハゼノキ」です。作詞をしたサトウハチロー旧宅の庭から礫川公園に植替えられています。ハゼノキの由来を記したプレートを読まないと、公園の普通の木と区別できないのですが。。。樹齢70年にもなる古い木のようです。
サトウハチロー旧宅から移したものだという。
同様の名作を数多く残したサトウハチローは、昭和12年秋、上野・桜木町から向ケ岡弥生町に転居しました。家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えたそうです。昭和30年に動揺「ちいさい秋みつけた」は、深紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞されました。ハチローの没後、家は記念館になり愛用品や遺稿が展示されましたが、平成7年に閉鎖され、庭のはぜの木は、ここ礫川公園に移植されました。樹齢約70年、毎年真紅の枝葉がちいさい秋を語り伝えてくれます。
童謡の名作を数多く残したサトウハチロー(1903- 1973)は、昭和12年(1937)秋に、上野・桜木町から向ヶ岡弥生町に転居した。家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えた。童謡「ちいさい秋みつけた」は、真紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞された。昭和30年(1955)秋のことである。ハチローの没後、旧宅は記念館に改装され、遺稿や愛用品が展示されたが、平成7年(1995)館は閉鎖され、平成8年(1996)記念館は北上市に新設された。その後、残された “ はぜの木 ” は木の延命を図るため5本の枝を残し、切り株状にして平成13年(2001)10月、この地に移植された。樹齢約70年、毎年真紅の枝葉が “ ちいさい秋 ” を語り伝えてくれる。**************************************************ちいさい秋みつけた(三番)サトウハチロー 作詞中田喜直 作曲誰かさんが 誰かさんが誰かさんが みつけたちいさい秋 ちいさい秋ちいさい秋 みつけたむかしの むかしの 風見の鳥のぼやけたとさかに はぜの葉ひとつはぜの葉あかくて 入日色ちいさい秋 ちいさい秋ちいさい秋 みつけた– 郷土愛を育む文化財 –文京区教育委員会平成15年3月************************************************と書かれていました。
| 名前 |
童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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礫川公園の看板が伝えているのは、このハゼノキが童謡「ちいさい秋みつけた」の三番の歌詞のモデルになった木だ、ということです。礫川公園は文京区春日一丁目にあり、文京区内そのものです。文京区の案内では、作詞者サトウハチローが向ヶ岡弥生町の旧宅でこのハゼノキを眺めながら詞想を得たとされ、その木はサトウハチロー記念館跡地から2001年10月に礫川公園へ移植されました。平成15年3月建立の看板は、その由来を「郷土愛をはぐくむ文化財」として伝えています。ハゼノキはウルシ科の落葉樹で、秋に深紅へ色づくのが特徴です。文京区は、この木が毎年見事な紅葉を見せることを紹介しており、歌の中の「ちいさい秋」を、抽象的な季節感ではなく、具体的な一本の木の記憶としてたどれる点が面白いです。サトウハチロー旧居跡が弥生二丁目にあったことまで重ねると、礫川公園の看板は、公園の樹木案内というより、文京区の文学史をそのまま足元に引き寄せる碑に近いと感じます。