韮崎の歴史を感じて。
梅天神社の特徴
天文年中に歴史的な事件があった場所です。
小さな建物が印象的な神社です。
韮崎市中央町に位置しています。
❶【参考 梅天神社 峡北神社誌 1962年】梅天神社 未登録[由緒]天文年中(1532年~1555年)信州の諏訪頼茂、小笠原長時の聯合軍が武田氏の内訌 (内紛)に乗じて甲斐に侵攻し、韮崎辺り一帯において甲州軍と戦いをまじえた。しかし、知将晴信の戦法と諸兵の奮戦により、諏訪、小笠原は信州へ配走した。そしてこの合戦における戦死者の塚や墓が大草の羽根坂や神山願成寺西、又は金剛地付近に古い五輪の塔などと共に沢山発掘されている。この戦勝の縁起から金剛地の丸山は勝山と名付けられ古府の出城となっていた。又岩下の神社は勝手明神、岩根観音は武田陣中、御本尊に梅天神は陣場天神と改称されたという。韮崎合戦のそのころは、釜無の清流は、七里岩穴観音の足下を洗い下って、今の蔵前院付近で塩川と合流しており、蔵前院はなかったという。そして天神の祠には梅野の大木があって、戦時中は武田の軍旗をここに掲げ、敵陣攻撃の重要な拠点となり、大勝利のもとをなしたといいつたえている。付近にはそのため、旗田、殿田、大坪など地名が残っている。この大坪つづきの地で北野屋敷という所がある。すなわち昔、天神社のあったところで、このあたりからかって、古刀、鎧などが発掘され、今尚石の祠の奥殿に秘める古鏡と共に、往古を物語っている。御神体は、黄金色の古鏡で、裏面には松島越後守の銘が刻してある。天神町の名は此の陣場天神の由緒から名づけられて、梅天神の名は此の梅の古木によりてなづけられたという。[祭神] 菅原道真公[鎮座地] 韮崎市韮崎町天神町1471[祭日] 4月25日[社殿] 石祠、昭和30年4月祠宇に接して瓦葺建坪7坪余りの拝殿新築。[境内面積] 9坪2023_07_09
| 名前 |
梅天神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
小さな建物が建っています。見落としやすいため、「郵便今日の隣」と覚えておくのをオススメします。菅原道真を祀っているといわれています。かつて梅の古木があった事にちなみ名づけられました。目の前の通りは「学問の道」と呼ばれています。