田んぼの真ん中で出会う、特別な時間。
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| 名前 |
衣塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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田んぼの真ん中に、ポツンと建っていたのです。私有地だろうから近づけなかった。あとで調べてみると、こんな由来がありまして・・・天正四年(1576)といいますから、今から四百数十年も昔のことです。この年は六月初めから一ヶ月間も雨が降らないという日照り続きの年となりました。稲作にとって水は何より大切です。長谷の村でも人々は困り果てていました。そこで、村の領主・武四郎左衛門利忠は、上流の小野村にふさわしい場所を見つけ、玉川に堰を作る工事を始めました。人々もよく協力しましたが、川の流れが激しく、力を合わせて打った杭も土を詰めた俵もたちまち流されてしまいます。困り果てた村人たちの前に、赤い馬に乗った一人の山伏が現れました。山伏は、「私は筑波山に住む桂坊という山伏だが、村を救う堰ができず難儀しているみなの衆を救ってやろう。大山寺へ参詣後、またここに戻ってくる」といって立ち去りました。はたして翌日、その山伏は現れました。山伏は「私がお前達の望んでいる杭になってやろう。そうすればたちどころに堰は完成するだろう。その代わり、今後この場所へは、杭と名のつくものを決して打ってはならない」と言うが早いか、激しい流れの中に身を躍らせ、あっという間に見えなくなりました。村人たちはそれから一心不乱に工事に励みました。するとどうでしょう、山伏の言葉どおり、川の水がせき止まり、枯れかけていた長谷村の田んぼに水は流れ込み、村は干ばつから救われたのでした。やがて、四郎左右衛門は、この山伏の霊を自分の屋敷近くの山に祀り、「堰大明神」として長谷村の守り神としました。また、玉川の堰あとには山伏の来ていた衣を埋めた「衣塚」を建て、その徳をたたえたということです。【出典】『あつぎ子ども風土記』