歴史に思いを寄せる磐園。
築山古墳(磐園陵墓参考地)の特徴
磐園陵墓参考地は宮内庁が管理する史跡です。
長さ210mの前方後円墳が独特の魅力を放っています。
5世紀頃に築造された歴史的な遺構です。
周りには何もないですが、歴史に思いをよせましょう。
普通でです。
ちょとイイかな。
5世紀頃築造された前方後円墳。墳丘長210mは全国で27番目の大きさ。馬見古墳群の中では最南部に当たる築山古墳群の中心的な古墳の1つ。宮内庁により陵墓参考地とされているため、古墳内部に立ち入ることはできない。被葬候補者は第23代顕宗天皇とされているが、武烈天皇陵との伝承もある。遥拝所、駐車場などはない。全体像を見るなら北側築山児童公園かん山古墳か西南側の周濠沿いがよい。南部のJR和歌山線沿いには数基の陪塚がある。
墳丘長210mの前方後円墳、築造時期は5世紀頃と推定。馬見古墳群を構成する古墳の1つ。宮内庁により陵墓参考地(被葬者を特定できない皇族の墳墓)に治定されている。(被葬候補者:第23代顕宗天皇)武烈天皇陵との伝承もあるが埋葬者は不明。この時代、奈良盆地は、東部に拠点をおく大和政権に対して、西部には葛城氏などの勢力が存在し、ヤマト政権に深く関わっていたとされる。この古墳も、そういった首長たちが埋葬されているのかもしれない。
磐園陵墓参考地として宮内庁が管理してますので、立ち入り禁止です。被葬者は不明ですが武烈天皇?外観のみの見学です。駐車場も無く周りの道も狭い為、写真だけ撮ってサッサと立ち去りました。
名前 |
築山古墳(磐園陵墓参考地) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0745-53-6264 |
住所 |
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HP |
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/06kofun/02west_area/tsukiyamakofun/ |
評価 |
3.7 |
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宮内庁により「磐園陵墓参考地」(被葬候補者:第二十三代顕宗天皇)として陵墓参考地に治定されている。墳丘長210メートル、後円部径120メートル、前方部幅105メートルの前方後円墳で、全国27位。馬見古墳群に属し、南群の盟主墓とされる。周濠に掛かる外堤は後円部北方にあり、また、北方の周濠は外側から埋め立てられて細く変形しており、本来の周濠は南北対称であったと思われる。墳丘の後円部と前方部の接合部である南側だけに、外観から造り出しの存在が確認できる。いずれも陪塚とみられるが、周囲には巨大な古墳が複数あり、狐井塚古墳、コンピラ山古墳、茶臼山古墳、児童公園古墳などが主要なところで、これらとともに築山古墳群を形成している。以前は第二十五代武烈天皇の陵墓ともされてきた。しかし1996年に周濠の改修工事の際に宮内庁が調査しところ、出土した埴輪片が4世紀末ごろのものとわかり、武烈天皇とは時代がかけ離れていることが明らかになった。武烈天皇は現在、傍丘磐坏丘北陵古墳(奈良県・香芝市)を「傍丘磐坏丘北陵」として治定され、別に陵墓参考地として、新山古墳(奈良県・広陵町)が治定されている。また、現在の被葬者候補である顕宗天皇は、この古墳とは別に傍丘磐坏丘南陵古墳(奈良県・香芝市)を「傍丘磐坏丘南陵」として治定されている。憲宗天皇の皇后ナニワの陵は狐井塚古墳とされている。なお、同名の古墳は全国に分布しており、主なところでも大分県大分市、福岡県糸島市、岡山県瀬戸内市などにもある。