歴史を感じる今川義元公の胴塚。
今川義元公墓所の特徴
戦国武将・今川義元公の有名なお墓です、歴史の重要な遺産がここにあります。
大聖寺内部にひっそりとあり、静かな雰囲気を楽しめます。
今川祭では毎年、義元公の慰霊祭が行われ、多くの人が集まります。
ひっそりと住宅地の陰の今川義元の同塚です桶狭間で討たれた後家臣が何とか持ち帰って隠したらしいです。地元の方々の努力で今尚存在していてこのまま残して欲しいです。
歴史的に興味深い場所です。区画整理等されておらず、奈良時代?から変わらない道すじのようです。とにかく道幅が狭く、曲がるのにも一苦労です。自動車学校より狭いかも。軽自動車がおすすめの道です。
言わずと知れた、今川義元公のお墓です。住宅地の中、さらに脇道に入っていかないと大聖寺の入り口が見つからないので、初めて行った際にはなかなか見つけられませんでした。グーグルマップのナビを使えば間違いないですね。大聖寺に入り左手にある道を進むと門がありますので、その奥にお墓があります。想像していたものと違い、こじんまりとしたお墓でした。すぐ脇に一色刑部のお墓もあります。二度目に行った時は、お墓を守るかのようにスズメバチが飛んでおり、近づくことが出来ませんでした。たまたまだったと思いますが、近くに巣があるかもしれませんので、気を付けたほうがよさそうです。
住宅地の中にあり、ひっそりとあるお寺です。ただ道は細いですので車でお越しになる方は注意が必要です。墓は整理されたようですが、現在も墓石の一段目には石の手水鉢を使用しています。当時のものなのか、いつのものかわかりませんが、看板もなく文字が風化しようとも石手水鉢のことを知っている人が見たら一発で今川義元の墓だとわかりますよね。そんな想いが昔から現在、未来へと引き継がれるよう大切にしているものように感じました。お寺には何度かお尋ねしましたが、たまたまなのかどなたもいない様子です。以下看板より今川義元公墓所(市指定史跡)戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄三年(1560)五月十九日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。その時、首をとられた義元の胴体を家臣が背負って当地まで逃れ、この寺にとも葬って、とりあえず石の手水鉢をのせ墓石の代わりにしました。それが「今川義元の胴塚」と言われる由来です。嫡子上総介氏真は永禄六年(1563)父義元の三回忌をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。その後、墓は整理され、毎年義元の命日には、地元の人々より慰霊祭が行われています。
ひっそりとした場所にあります。住宅街のはしの線路沿いにあります。
日本史には欠かせない有名人です。
綺麗に整備されています。住宅の一角に建立されていますが、わかりやすく行けました。
桶狭間にも行ったので行ってみたかった場所です。細い道を歩きながら行きましたが看板があり分かりやすかったです。同じ敷地内に一色形部公のお墓もあります。
今川義元公の胴塚があると伝えられています。かなり寂しいところです。
名前 |
今川義元公墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0533-89-2206 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
3.8 |
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飯田線牛久保駅徒歩5分、今川義元公本能寺の変で首は織田方へ、胴が埋葬されてます。隣に足利一族執事を務めた一色刑部の墓があります。