本多家菩提寺で歴史体験。
東漸寺の特徴
豊川市立小坂井西小学校の近くに位置するお寺です。
初代伊奈城主本多定忠らの墓所を訪れることができます。
移設整備された本堂は特に素晴らしいと評判です。
小坂井西小学校の西側、アオイ保育園の東側にあります。駐車場も設けられているので車でも参詣できます。山門は大きな門で伊奈本多家の菩提寺にふさわしい構えで、左側に宝篋印塔などがありました。本堂はかなり立派な建物で庫裏には彫刻もあり見どころのひとつといえるでしょう。鐘楼は二階建てでした。本堂裏の墓地に「東漸寺のタブノキ」と「伊奈本多家五代の墓所」がありました。隣にあるアオイ保育園は伊奈本多家が葵の紋を家紋として使っていた事からきていると考えられます。・謎の玄関山門から本堂までの森の中に切り取られた玄関がありました。見たところ明治時代~大正時代の学校の玄関に見えました。お寺の隣にある小坂井西小学校の設立年は1907年とのことなので、小坂井西小学校の昔の玄関ではないかと考察しました。以下の文の参考:豊川の歴史散歩(新版)・お寺の歴史むかし、前芝村(現・豊橋市前芝町付近)に東漸寺という真言宗寺院がありましたが、廃寺となり、延命地蔵尊を祀る小堂だけとなりました。ところが津波でこの地蔵尊が伊奈の地に流れ着き、村人はこれをこれを崇め祀りました。第三代目伊奈城主本多正時(泰次)は、明応元年(1492年)にこの地蔵尊を本尊として堂を建て、知多緒川の乾坤院(けんこんいん)の亭隠慶泉禅師を開祖とし、萬年山東漸寺と名付け、本多家先祖累代の菩提寺としました。その後、第八代伊奈城主本多康俊は、徳川家康の関東移封により、天正18年(1590年)に下総国(千葉県)小篠(こざさ)へ移り、そして三河国西尾城主を経て、近江国(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩主となりました。以来本多家は、膳所藩主として明治の廃藩まで存続しましたが、藩主の参勤交代の際には、必ず赤坂宿から東漸寺へ家臣を遣わして代参させるなど、伊奈の地を離れても菩提寺への信仰は変わらず続けられていました。境内の墓所には伊奈城主歴代の墓所だった舞々辻から移された初代から五代までの墓碑が祀られていて、伊奈本多家ゆかりのお寺であることをしのぶことができます。・伊奈城之図 市指定有形文化財十五世紀中頃、本多定忠・定助父子によって築かれたとされる伊奈城の古絵図です。この絵図には本丸を取り囲む土塁や堀、大手門と東西の門、矢倉台等の城の周囲の様子が記されています。廃城後に作成されたものですが、当時の伊奈城の概要を知ることの出来る貴重な資料です。現在見学はできませんが、度々資料館の企画展等で出展されているようです。・東漸寺のタブノキ 市指定天然記念物本堂裏の墓地に二本の立派なタブノキが生えています。・五輪塔彫刻のある石碑東漸寺の墓地に五輪塔の彫られた2基の石碑(卒塔婆)があります。青っぽい色の緑泥片岩製のものには寛永3年(1626年)、もうひとつの花崗岩製のものには寛永20年(1643年)の銘があるそうです。
昨年偶然に出会ったお寺です。椿の花と河津桜なのかわからないけど、花に魅せられました。そこで、今日あたり花の見頃かと思い行って来ました。花はもう少しで満開になりそうです🌸お寺は、伊奈城🏯の初代城主からの菩提寺でした。興味ある方はお出かけください。ね。
素晴らしい本堂があり‼いいお寺です‼
舞々辻から移設整備された初代伊奈城主本多定忠ら五代の墓所があります。
豊川市立小坂井西小学校の西側に有る、曹洞宗のお寺です。
名前 |
東漸寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0533-72-2756 |
住所 |
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HP |
http://mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/3center-west/4-3-10 |
評価 |
4.1 |
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伊奈城主本多家の菩提寺で、右切りの立葵の紋の元です。