聖天堂の彫刻が魅せる感動。
八柱神社の特徴
巨木と彫刻が織りなす神秘的な風景が楽しめます。
寛平2年創建の歴史深い神社として知られています。
京都嵯峨の大覚寺から受け継がれた聖天堂の美しさが際立っています。
【当社】(ヤハシラジンジャ)は、「金剛院」として神仏習合の進展の中で大覚寺(ダイカクジ)の末寺なので真言宗(東密)の両部神道を当地に具現していたと思われるが、明治維新の廃仏毀釈の荒波には抗えずに廃寺の憂き目を受けることとなり、神道振興の旗の下に当該地区の複数の神社を糾合して、「八柱神社」の名で明治の世を過ごすこととなった。【沿革】京都嵯峨の大覚寺の末寺であった金剛院は明治初めに廃寺となり、華麗な聖天堂のみが残されて八柱神社の本殿・拝殿に利用された。現在の建物は天明5(1785)年の建立で、拝殿は解体調査を元に昭和62(1987)年に全面的に改築復原されました。なかでも本殿は全体が極彩色に彩られ、精緻な彫刻類が建物の外周を埋め尽くす豪華さは圧巻です。【所在地】は、茨城県桜川市真壁町塙世(ハナワゼ)968(〒300-4423)である。当地は、「筑波山系」の山並みが縦走する中で「桜川(サクラガワ)」がこの西を並走する川の中間に位置する。【地勢】当社は、同川の両岸に広がる田圃地帯、その奥の右岸の台地(常総台地)の突端(塙)に鎮座している。塙世地区は同川の西岸に集落を形成するが、県道として県道石岡筑西(7号)線、同道下妻真壁(131号)線及び同道荻島真壁(151号)線が走っている。同道石岡筑西(7号)線は、茨城県石岡市から筑西市に至る県道(主要地方道)、総延長35.439 km。同道下妻真壁(131号)線は、茨城県下妻市から桜川市に至る一般県道、総延長:15.578 km。同道荻島真壁(151号)線は、茨城県筑西市荻島から桜川市に至る一般県道、総延長:7.551 kmである。当地が交通の要衝であることを如実に物語っており、この事実が「茨城県警察桜川警察署」の配置に繋がっているものと推測する。【創建】は、天王社の創建は寛平2(890)年です。もとは寛平2(890)年の創建と伝える金剛院の聖天堂。県内随一の装飾社殿を誇る本殿は日光陽明門風の構造をとり、特に外周を飾る極彩色彫刻は見事である。本殿の彫り物は、天明5(1785)年、下野国富田住の彫物師磯部義兵衛英信の作で、本殿の築造もこのころと推定されている。【祭神】は、「素戔嗚命(スサノオノミコト)」、「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」、「倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)」、「軻遇突知命(カグツチノミコト)」、「大山咋命(オオヤマクイノミコト)」、「誉田別命(ホンダワケノミコト)」及び「別雷命(ワケイカヅチノミコト)」の八柱である。合祀される前にあった神社は、雷神社、愛巌(アタゴ、愛宕)神社、富士浅間神社、新宮八幡神社、稲荷神社、日枝神社、厳島神社である。【祭礼・神紋・朱印】は、未確認である。【神木】は、欅の木で、境内にどっしりと立っている。幹には、大きな空洞が出来ていますが、残された部分はごつごつとした瘤に被われていて、逞しい印象を受けます。空洞が出来て傷んだせいか、枝の数は少ない。幹周り8.2m、樹高14m、推定樹齢約 500年で、桜川市の天然記念物に指定されている。【輪煥】(リンカン)は「輪奐」であり、これを分解すると「輪」は屈曲して高大なさま、「奐」は大きく盛んな意で、「社寺その他の建物が、広大で壮麗であること。また、そのさま。」の意味となる。【大覚寺】は、「嵯峨天皇」の離宮であった嵯峨院で、「空海」が「五大明王」(不動明王(フドウミョウオウ)、降三世(ゴウザンゼ)明王、軍荼利(グンダリ)明王、大威徳(ダイイトク)明王、金剛夜叉(コンゴウヤシャ)明王)を彫刻して五覚院を建てたことに由来する。疫病流行の際には、嵯峨天皇宸筆の般若心経を講読して、心経堂に納入した。貞観18(876)年に淳和天皇皇后「正子内親王(マサコナイシンノウ)」の令旨により開創され、淳和天皇第二皇子「恒寂入道親王」が賜り、入寺して、大覚寺の伽藍を整備した。延喜18(918)年に「宇多天皇」が大覚寺で両部灌頂を受け、文永5(1268)年には「後嵯峨天皇」が入寺、21世門跡に就任、続いて、「亀山天皇」も入寺し、22世門跡になった。徳治2(1307)年から元亨元(1321)年まで「後宇多天皇」は院政を行い、大覚寺塔頭・蓮華峯寺を仙洞御所とした。このとき、諸堂を整備したため、後宇多法皇を「中興の祖」と称する。こうした経緯から南朝系の大覚寺統の天皇とゆかりがある。建武3(1336)年全焼。元中9(1392)年に南北朝の動乱を経て、南北朝和議の場として使用された。桓武天皇は最澄を崇敬したが、彼の皇子である嵯峨天皇は空海を崇敬した。両者ともに子沢山でこの内母親の出自が低い皇子を臣籍降下させて宮廷費等の軽減を図った。これが桓武平氏や嵯峨源氏を生み出すこととなり、源平合戦を引き起こし武家政権を誕生させることとなった。【金剛院】は、現在の茨城県桜川市にあった真言宗大覚寺派の寺院。本尊は不動明王で、山号は「聖天山」、寺号は「恵日光寺」であった。現在の八柱神社に位置していた。明治初期に廃仏毀釈のあおりを受け、廃寺となった。院号の金剛が、五大明王の北方の守護神「金剛夜叉明王」から来ているとすれば、当社から見て真壁城は東方に位置するので、他の守護対象があるのだろうか?。【聖天堂】の聖天とは、「大聖歓喜自在天(ダイセイカンギジザイテン)」の略語である。象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、多くは厨子などに安置され、秘仏として扱われており一般に公開されることは少ない。【塙世】に興味をそそられる。何故だろうか?。分解すれば「塙」と「世」となるが、二つともに普段に目にする字である。前者は、山が突き出た箇所・小高い所という意味であり、対義語は圷(「あくつ」、川辺の低湿地を意味する)である。後者は、生滅の起こる場所、人間が社会生活を営んでいる場所という意味である。塙という地名が茨城県に多く、これに伴い名前も多いようだ。当地も桜川が流下する低地から西に上がった台地であり、小高い所に集落を形成している。【榎戸氏】(エノキドシ?)は、当地の東に真壁城を構えた真壁氏の有力家臣として、この西に位置する塙世に塙世城を建造して結城氏や多賀谷氏からの侵攻を防御することを求められた。当社は榎戸氏の寄進を受けて社殿を建立していたのであろう。なお、当社社殿の奥に鎮守の森があり、このさらに奥に長屋門や四足門の家があり、この内1軒には榎戸の表札が掲げられていた。【真壁氏】(マカベシ)は、常陸国真壁郡に栄えた武家。本姓・家系は桓武平氏の一門平繁盛の流れをくむ大掾氏(多気氏)の流れを汲み、「多気直幹(タキナオモト)」の四男・長幹(ナガモト)を祖とする。通字は「幹(モト)」。【彫り物】は、県教育委員会によると下野国富田住の彫物師「磯部義兵衛英信」の作と考えられています。県内で類を見ないのはお隣にあった下野国の職人が作ったせいかもしれない。●初代儀兵衛 磯辺隆顕(信秀の三男)彫工に専念した。磯辺家分家として初代儀兵衛と名乗るが、吉信、英信、左木斎、左甚五郎十二世とも名乗る。文政4(1822)年没。・真壁八柱神社本殿、大川島神社本殿(小山)、久我神社本殿(鹿沼)八柱神社本殿の彫刻裏面に「下野国都賀郡 富田駅住 彫工 磯辺義兵衛 英信 旹天明五巳年三月吉日」という墨書がある。下野国には、江戸初期に「日光東照宮」という徳川家康を東照大権現として祀る神社を建造する際に眠り猫の作者として有名な「左甚五郎」などの流れを汲む彫刻家集団が存在したのであろう。だが、その名門彫刻家を依頼することができる環境が当社や当地区には充足されていたと思われる。当社本殿は江戸期の天明年間に建造されたので、当地の領主が徳川家に近いとか、資力のある氏子がいたとかの特殊事情があったのだろうと推測できる。時代を遡れば、当地を長く支配した真壁氏は、常陸北部の佐竹氏とともに下野国の名族宇都宮氏と連盟したから、何らかの繋がりを古来から有していた可能性を感じる。【接道】は、県道石岡筑西(7号)線及び同下妻真壁(131号)線である。前者からは、桜川に架かる塙世橋の信号機を南西に進み、道なりに行くと右側の高台に鎮座する当社に至る。当社の石段や神号碑が目印となり、駐車スペースはこの約50m手前の右側である。後者からは、(株)木幡機械工業(桜川市真壁町源法寺1028)の工場の少し東でY字路があるので、「八柱神社」の案内標識に従い東に入り、道なりに進むと左手に当社の石段や神号碑が見えてくる。駐車スペースは、石段の約50m先の左である。【駐車場】は、神社参道の石段登り口の先(北側)にY字路があり、この分岐点の左側に自動車3台分の駐車スペース(アスファルト舗装)がある。【トイレ】は、境内地内に整備されているが、管理が十分ではないので、緊急時の使用に限定されると思われる。したがって、ここに来るまでにコンビニ等で用を済ませてくるのがベストである。(訪問日令和5年7月19日(水))
2023/6/14 本殿の彫刻が見事です。1,875年の建立。拝殿は1,987年。樹齢約600年のケヤキの巨木があります。筑波山と対峙し、須佐之男命や木花咲耶姫など八柱の神々を合祀しています。駐車場は無く、入口北側約50m地点に広い路肩があります。
巨木と拝殿の彫刻に感激です。ただ、駐車場がない?ので路駐?になるのかな? 路駐の写真も投稿します。筑波山も絶景です。
境内の彫刻が有名らしいです。確かには素晴らしいと感じました。
狭い道路脇の石段からいきなり拝殿のとなり本殿が続く 彩色が残る彫刻は繊細な表現がいまも伝わる 飾り気のない境内には欅の古木が一本たっている。
京都嵯峨の大覚寺の末寺であった金剛院は明治初めに廃寺となり、華麗な聖天堂のみが残されて八柱神社の本殿・拝殿に利用されています。現在の建物は天明5年(1785)の建立で、拝殿は解体調査を元に昭和62年(1987)に全面的に改築復原されました。なかでも本殿は全体が極彩色に彩られ、精緻な彫刻類が建物の外周を埋め尽くす豪華さは圧巻です。
以前は京都嵯峨の大覚寺の末寺、金剛院の聖天堂で寛平2年(890)創建、明治の廃仏毀釈の時に聖天堂を残し、牛頭天皇社を遷座し、その後塙世村内7社を合祀し、現在の社名になりました。御祭神は素戔鳴命、木花咲耶姫命、倉稲魂命、軻遇突知命、大山咋命、巌島姫命、誉田別命、別雷命。本殿の華麗で見事な彫刻は下野国(栃木県)富田住の彫物師、磯部義兵衛英信の作と伝わります。境内には真壁町指定天然記念物の幹周り8.2m、樹高14m、推定樹齢500年の大きくどっしりとしたケヤキの木があります。境内は広く明るく掃除等を管理が行き届いており氏子や近隣の方々の信仰の厚さが伺えます。駐車場は見当たらず階段を上がり鳥居を潜ると境内です。
鳥居の近くで車を停め、階段を登り本殿が見えます。その奥にはビックリするほどの大きな木があります。
拝殿は至って普通ですが、本殿がすごい神社です。見る価値はあります。人気無く御朱印はいただけないようです。
| 名前 |
八柱神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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境内はそんなに広くありませんが小高い場所で大きな木々に囲まれた中に佇む神社でした!駐車場はありませんので訪れる際にはご注意を!