竹島公園で出会う俊成の凛々しい像。
藤原俊成像の特徴
平安時代後期の藤原俊成が立つ像は、竹島公園にあります。
三河湾を見守るように、凛々しく佇む立派な像です。
海に向かって建てられた像からは、見晴らしが非常に良いです。
韓流ドラマに出て来そうなイケメンです。
竹島の公園にある像。
立派な像です。
この方あまりご存知ないですけど像が立派です。
バイク二人旅。この像の周りでテントを張ってキャンプされている方々が多かったです。ほんまエエ場所ですわ♪38みねちゃん。
意外と天気が良く風も少ない。
平安時代後期の歌人です。何故ここに?蒲郡開拓の祖なんですね。目立つ像です。竹島に来た方は必ず目にする像ですね。
『世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる』藤原 俊成(ふじわら の としなり)の歌です。藤原 俊成は、『千載和歌集』の撰者として有名な歌人で藤原定家の父親です。門下からは息子・定家をはじめ、○寂蓮○俊成卿女○藤原家隆○後鳥羽院○九条良経○式子内親王など優秀な歌人が輩出しています。冒頭の歌は、この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。という訳で、俊成が27歳の時に詠んだ「述懐百首」の中で鹿をテーマにしたものだと書かれています。「道」というのは、世の中のつらさを逃れる道、方法ということ。平安時代には世俗を離れてお坊さんになる、出家することでした。昔の27歳というと立派な大人で、この歌が詠まれた当時は、西行法師をはじめ、俊成と同じ年頃の友人たちが次々と出家していました。俊成もそんな中でさまざまに悩み、悩んでもどこへ行こうと悩みはつきない、という内容のこの歌を詠んだのでしょう。作者藤原俊成は、西行と並んで後鳥羽上皇に賞賛されたように、平安時代末を代表する歌人でした。その歌はやさしく、技巧に走らず自分の心の内を語っていく抒情的です。今で言うなら癒し系でしょうか。
海に向かって、立派な像が立っています。
名前 |
藤原俊成像 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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藤原 俊成は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。蒲郡開発の祖俊成卿が三河国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から同5年(1149)4月までの3年5カ月の期間でした。32歳から36歳までの間、藤原顕広となのっていたころです。