岩清水八幡宮の帰り道、静かで美しい神社。
八幡神社の特徴
西戸津のバス停の北に位置する便利な神社です。
岩清水八幡宮の参拝後に立ち寄れる近さが魅力です。
静かで綺麗な境内が、お詣りにぴったりな場所です。
お詣りに行きました。
抜け道のような 広い道に面していてすぐにわかる。参道がずいぶん長く、 結構規模は大きい。 境内には巨木が何本か並び、 本殿も本格的な立派なもの。 赤く塗られた 本殿に風格を感じる。
初めて行き、神社名や境内の様子がわかりました。地元の立派な氏神様ですよね。
岩清水八幡宮の参拝帰りに参拝させて頂きました。薮蚊が凄く、ゆっくりと参拝は出来ませんでした。
岩清水八幡宮の参拝帰りに参拝させて頂きました。薮蚊が凄く、ゆっくりと参拝は出来ませんでした。
美しい場所(原文)Lugar bonito
静かで綺麗な神社だと思いました。
西戸津のバス停の北にある。
| 名前 |
八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
八幡市戸津集落の西に位置します。鳥居前にある御由緒によると、地名から戸津八幡神社と呼ばれているようです。以下、御由緒を転載します。御由緒慶応三(一八六七)年十二月王政復古の大号令が発せられると 鳥羽・伏見の戦いがおこり 京都方と幕府軍との戦いが始った間もなく淀城が京都方に降伏し落城すると幕府軍は橋本陣屋に滞在し この為八幡への砲撃は避けられず 八幡宮を守る事態が生じた 八幡大神は難を避け慶応四(一八六八) 年正月六日辰ノ刻(午前十時頃)に御鳳輦にて社務所司や武装した諸神人に警固され男山を下山し 大住村(現綴喜郡田辺町大住) の奥坊拝殿へ奉安されたしかし幕府軍の敗走により八幡・橋本での戦火が鎮まると 京都方の長州・因州の兵が大住村奥坊へ赴き 翌八日の征討将軍仁和寺宮の八幡宮参拝の旨を告げ七日中に御鳳輦が還行することを命じたこの命に従い早速還幸の準備が進められて大住村を出発した御鳳輦は 途中戸津村にて一時の御休憩をとられた この地は八幡神とともに村人より尊崇されていた産土神を祭る小さな社があったところである一説によると この産土神の御祭神もわからず 八幡大神の御休憩の地となったご縁から 社格の高い石清水八幡宮への直接の参詣を憚っていた村人一同の願いにより 八幡宮の御分霊が勧請され 現在の戸津八幡神社となったということである御社殿の創建については 記録が伝わらず詳細は判明しないが 社名よりは相当古いものであるこのように戸津村と石清水八幡宮との御縁は深く村人の厚い崇敬により 現在に至っているのである昭和六十二年四月吉日戸津八幡神社。