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徳川家康公と側室下山殿の子息 信吉公の陣屋跡地で大堀館と称しました。近くの本佐倉城へは入りませんでした。水戸へ移る迄の約8年間をこの地ですごしています。母の下山殿は甲斐武田宗家の縁戚である穴山家の養女で実父は山本(河窪)兵部です。家康公は自身の五男である信吉公を甲斐武田家の跡取りとし武田家の軍制などを得る為に宗家として佐倉へ配置しました。家康公の意向により家臣には沢山の甲斐武田家旧臣がいました。信吉公は水戸へ転封となり大部分の家臣は従いましたが一部は残り酒々井町や佐倉市で帰農したり新たな佐倉藩への仕官をするなり色々な道を歩んだらしいです。甲斐武田家の旧家臣では、秋山氏や大熊氏、山本氏、梶間氏、河方氏、土屋氏、板垣氏、小宮山氏、海野氏、馬場氏などが残りました。山梨県にルーツを持つ方が酒々井町や佐倉市に住んでいる理由らしいです。この陣屋跡地近くには信吉公の祖父であり家康公の父 松平広忠公の歯骨を供養する浄土宗の清光寺さんがあります。