南北下条の歴史を感じる。
| 名前 |
北下條福地八幡神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6022 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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❶【参考 福地八幡神社 峡北神社誌 1962年】この里は昔、南北下条壱村であったが、慶長6年(1601年)土地の広さを計測したの時に、2村にわかれたという。よって、有司に達して地を賜り、新たに祠を建てて、南下条の福地八幡大神を勧請して祀られたという。当時の棟札が本宮に現存する。その後寛永21年、更に社殿を造営して今に至る。国志に除地神領7畝10歩、社地980坪とあり、明治4年上知、明治6年村社に列す。[祭神] オキナガタラシヒメのミコト(神功皇后) ホンダワケのミコト(八幡神) オホサザキのミコト(仁徳天皇)[鎮座地] 韮崎市藤井町北下条字山本2027番地[例祭日] 4月12日 10月15日 感謝祭11月23日[境内地面積] 787坪[宝物] 刀匠、古沢政一郎利秀奉納脇差一振。(昭和26年文化財保護委員会認定済)[境内神社] 天神社 東照宮社 疱瘡社 稲荷社 子安社 津島社 外10社※この中の天神社は、むかし北下条小字北野という、今の天神屋敷と呼ばれる地に鎮祀さられた巨祠であったが、享禄7年(享禄は5年迄、7年という事で1534年) 兵火に罹り(かかり)、その後再興することはできなかった。天正5年(1577年)6月ここに曹洞宗慈法院が建立するに及び、里人がこれに傾向する様になったので、次第に信仰もうすらぎ衰微して、遂に廃社するようになったという。