江戸から横浜へ、嘉右衛門の歴史。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
神奈川宿歴史の道(高島嘉右衛門) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
「高島嘉右衛門」嘉右衛門は、天保三年(一八三二)、 江戸に材木商の子として生れ、開港後の横浜で成功を収めた。明治二年、政府は新橋・横浜間 (現在の汐留・桜木町間)の鉄道建設を計画する。現在の横浜駅から桜木町にかけての一帯は、当時海で、 鉄道を通すため、青木町から野毛にかけて、全長千四百メートル、幅十六メートルの築堤を造らなければならなかった。嘉右衛門はこの難工事を請け負い、ここ高島台から数千人の人々に指示を出して、政府との約束の期間内に見事に工事を成功させた。埋め立てられた場所は現在の西区高島一・二丁目であり、高島台とともに名前が町名として残っている。上の写真は明治初めの風景である。 手前にある家並みは、旧街道の宿場で、その向こうに文明開化を象徴する鉄道の線路が延びている。埋め立てのほかにも、ガス会社や学校の設立、易学の普及など嘉右衛門は幅広い分野で数多くの功績を残した。