伊勢の皇太神宮様で心温まるひとときを。
| 名前 |
神明神社 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6001 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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❷【参考 のろいの松 韮崎市の民話伝説抜粋 1967年】日之城では伊勢の皇太神宮様をお迎えして氏神様とした。お迎え申した時、今の社地の前に松坂と云う所があり、今は崩れ流れてほとんど跡形もない。ここにお天狗という大木があったから、そこにお鎮座申そうとしたところ、神様はこの御神木、今の天然記念物と指定されている松のてっぺんに止まっていて、おりようとしない。そこで村の人たちや神主が相談し、お伺いした上、その木の下へご鎮座申し上げた。松坂のお天狗松は、のろいの松とも云って、人形がつるしてあったり、釘付けされた藁人形や写真があった。大正5年頃迄このまつがあったから、記憶している人もあるだろう。❶【参考 神明神社 峡北神社誌 1962年】神明神社 旧村社当地は三之蔵の日の城という。西岩に鷹の巣があり、毎年雛をうむから鷹巣城ともいった。鎌倉大隻記に 応永、永享の頃(1394年~1441年)に、日一揆のものどもが、武田右馬助信長にしたがって、跡部上野親子とたびたび戦い、荒川の合戦に打ち負けて滅びた とある。当城か、すなわち日一揆の叢宅で、旗に日輪を描き一党のしるしとしたから、日の出の城とも、日の城ともいうのである。城は神社の西、風越山頂にあったが、天正中(1573年~1592年)に没落して今はわずかに土手の跡のみ残している。当社創建年 不詳。むかしより村ができた時、五穀豊穣を祈願して、伊勢の皇大神宮を勧請し、社宇を建立しと伝わっている。天文年中(1532年~1555年)、武田家 家臣小幡 日の城、城郭鎮護のため社殿を大きく修繕したといわれている。それいらい武将の尊信あつく、特に慶長中(1596年~1615年)、徳川幕府より社領、社地を賜り社殿を改修築する。よって黒印神領5斗7升6合、社地3000坪とある。社殿の修理、五穀豊穣、国家安泰の祈寿奉修大麻等 現存する。[祭神] アマテラスオオミカミ(主神) トヨウケオオカミ(穀物と食物の神)[鎮座地] 韮崎市穂坂町三之蔵字日の城宮下3333[例祭] 10月10日[境内神社] 山神社 天神社 蚕神社 道祖社 稲荷社 外4社[社殿および] 本殿 拝殿 神楽殿 随神門 石華表 石灯籠[境内面積] 351坪[行事] 例祭日いは神楽の奉奏、村民の法師により諸種の演芸、催物等あって、近村よりの参拝者おおい。[天然記念物] 赤松 目通り 6m 枝下 22m 樹齢約400余り。