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別に法華経読誦塔ともいう。仏道について志を同じくして縁を結んだ人々を結縁衆とも、結衆とも称し、後世の講中に類似したものだが、この板碑は法華経帰依の130人にものぼる信者が結衆し建立した法華経読誦供養の塔で紀年には応永13年(1406)説と文明8年(1476)説があるが、『新編武蔵風土記稿』には「表に読妙経一百三十六部応永十三年丙戌十六日とありて、左右にあまたの法謚をえれり」とある。『武蔵名勝図会』には「応永の石碑」と題されて、応永とするの確実性が強い。明治初年に調査された『狭山之栞』によればそれ以前、前川橋板に用いられたので折損磨滅したとあり、上下二片となっており、現存総高1.67m上部が欠損し、下部が埋没しているので原形は優に2mを超えると思われる。応永年間この地域の住民の間で活発に法華信仰が行われたかを物語るものである。