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| 名前 |
伝板橋城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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【Googleマップのピンを信じて行くと戸惑います――板橋城は、まだ「場所が分からない城」です】「伝板橋城跡」と表示されているので、私は最初、何らかの城郭遺構が残っている場所を想像しました。ところが現地には、石垣・土塁・堀・曲輪など、一般に「城跡」と聞いて想像するような遺構は確認できません。そして調べてみると、さらに面白いことが分かりました。そもそも板橋城は、現在でも正確な所在地が確定していません。『新編武蔵風土記稿』には上板橋村に板橋城があったことが記されていますが、江戸後期の時点ですでに旧跡は分からなくなっていました。現在も発掘調査によって城域が確定したわけではなく、候補地には東山町の長命寺・上板橋小学校付近、稲荷台の日暮里山付近など複数の説があります。つまり、Googleマップ上のこの本町9-13のピンも、「ここが板橋城の本丸だった」と確認された場所ではありません。ここは先に知ってから訪れた方がよいと思います。【では、板橋城そのものが架空なのか】そこも少し違います。中世の板橋周辺には、豊島氏の庶流とされる板橋氏が活動していました。大永4年(1524)、北条氏綱によって江戸城を追われた扇谷上杉朝興が板橋方面へ退いた際、『異本小田原記』には「板橋某・市太夫」が討死したことが記されています。少なくとも戦国期、この地域に「板橋」を名乗る武士が存在し、軍事的な動きに関わっていたことは確認できます。一方で、その板橋氏と「板橋城」がどのように結びつくのか、城が具体的にどこにあったのかは、まだはっきりしません。【私は「何もないこと」も含めて面白いと思います】城跡巡りでは、つい石垣や堀を探してしまいます。しかし板橋城の場合は、「城があったという記録は残るのに、場所そのものが失われている」というところに面白さがあります。なお、東山町の上板橋小学校には実際に「伝 東山板橋城跡」の標柱と説明板があります。板橋城を追うなら、私はこのGoogleマップのピンだけで完結させず、長命寺・上板橋小学校周辺など他の比定地もあわせて歩いてみるのがおすすめです。ここは「城郭遺構を見る場所」というより、中世板橋氏の活動と、いつの間にか場所さえ分からなくなった一つの城を追いかける入口。そう理解して訪れると、何も残っていない住宅地の景色まで、少し違って見えてきます。私には、「見える城跡」ではなく「探す城跡」というところが、板橋城の一番面白いところでした。