戦勝祈願の石鏡を探せ!
| 名前 |
宇波刀神社 (宇波刀神社諏訪大明神) |
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| ジャンル |
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| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6036 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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書により「宇波刀神社」をしらべてみる______________❸【参考 石鏡 郷土研究 昭和10年】石鏡武田氏累代の尊信厚く、その境内に石鏡があるが、(径30㎝(1尺))これは、武田太郎信光が、信州桔梗が原(ききょうがはら)出陣の際、戦勝祈願として、奉納したものである。表面 わかまつる宇波刀の宮の神風に高き梢もなびきぬるかな裏面 奉納御霊前 天文二十二年五月 (1553年)太郎義光_________________❶【参考 郷土研究 第2輯 第1冊 (口碑伝説集)より】宇波刀神社圓野村下圓井宇宇波戸に宇波刀神社がある。祭神は事代主命(コトシロヌシのミコト)、日本武尊、建御名方命(タケミナカタのミコト)の御3方である。元正天皇の養老2(717)年第二皇女圓姫(つぶらひめ)という方が封をこの地に受け、洲羽(すは)に鎮座せる建御名方命(タケミナカタのミコト)の神を勧請して、守護神となされた。これが宇波刀神社のきげんである。圓皇女が居給ひしにより、圓居といい後に圓井になったのである。武田家累代の祈願となり、大永2(1521)年 武田信虎が社殿を造営した。後、天文16(1547)年2月 武田晴信もまた社殿を造営した。天文22(1553)年 太郎義信が初陣に際し祈願せられ、凱旋して金の幣を寄進された。__________________❷【参考 三代實録より抜粋】28日甲辰 甲斐国従5位上勲12等 物部神、美和神にならびに正5位下を授け、従5位下宇波刀神に従5位上。貞観8(866)年3月28日 甲斐従5位下宇波刀神社甲斐国従5位上を授かる。すでに5位下を賜っている_____________❹【参考 山本勘助 1985年】[勘助神社]宇波円井(うわつぶらい)に「山本」という姓が10戸ほどある。円野町全体では15戸になるが、皆同族といわれている。此の本家を「山本庄左衛門」といって嘉永年間(1848年~1855年)に死に絶えたが、この家の屋敷神を氏神の「宇波刀神社」へ納めたという。「山本庄左衛門」は文政8年(1825年)の「宗門人別牒(しゅうもんにんべつちょう)」に、「庄左衛門46歳」「妻もよ42歳」「倅(せがれ)長五郎7歳」とあり、この「倅長五郎」の代で家が絶えてしまったのだという。「宇波刀神社」へ納めた祠は、寛文頃(1661年頃)の石堂形式で、いまは「勘助稲荷」などと呼ばれているが、しかし根拠は全くないといわれるとある。戦国時代、武田信玄に「軍師」として仕えたと伝わる「山本勘助入道道鬼」は、上円井(かみつぶらい)を領地として治めたとも伝わっていて、もしかしたら下円井の「山本家」は「勘助」とつながりのある家なのかも・・しれない。