葛西囃子オーディションで祭り参戦!
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| 名前 |
葛西ばやし碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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葛西囃子が流行った理由は、葛西囃子オーディションをして代表者が神田明神の将軍家御上覧祭りに出場できるということで各地から参加者が集まり大流行したということ。ここからは妄想ですが、そんな企画ができる人って誰だ?将軍家の祭りに出場できるという権限は将軍とその周辺の幹部クラスだと思います。時代は宝暦年間。将軍は徳川9代家重。家重は言語が不明瞭だったことから形だけの将軍で、実権を握っていたのは8代将軍吉宗。吉宗ですよ。葛飾とゆかりのある吉宗。鷹狩に小菅御殿に通い、お花茶屋の名付け親であり、治水のために弥惣兵衛を呼んで水元公園(小合溜)をつくった吉宗。しばられ地蔵の逸話も吉宗の時代です。ボクの妄想をもう少し進めると。吉宗が企画立案実行したのではないかと考えています。吉宗「葛西囃子いいじゃないか。全国で演奏を競わせて一番上手い者を俺んとこの神田明神の祭りに出られるってなったら流行るであろう」なんてね。妄想にお付き合いいただきありがとうございました。