兵主神社で感じる心の静けさ。
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| 名前 |
兵主神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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兵主神社(ひょうずじんじゃ)。兵庫県朝来市山東町柿坪。式内社(小)論社、旧村社。【祭神】大己貴神資料によると、創祀年代は不詳。式内社「兵主神社」について、『国司文書 但馬神社系譜伝』には下記の記載がある。孝徳天皇の大化三年(647年)秋三月、朝来軍団の主帳である朝来直知嘉麿は、兵主神社を兵庫の側に祀り、兵庫守護の霊神(素戔嗚命)となし、かつ祖である天砺目命を下座に合祀した。『国司文書 但馬郷名記抄』によれば、朝来村は柿坪で、朝来直在住の地。朝来直は、丹波国、今は丹後国加佐郡朝来の人、だという。式内社「兵主神社」の論社は他に、溝黒(森)の八幡社がある。その八幡社の地が当社の旧地だという指摘もある。また、『国司文書 但馬神社系譜伝』にあるように、式内社「兵主神社」は上座と下座に分かれている。そこで、当社が上座(上社)、小字名が宮馬場で、軍団の乗馬練習場だった可能性のある八幡社が下座(下社)とする向きもある。『国司文書 但馬故事記』によれば、その但馬で最初の兵主神社は、朝来郡兵主神社、つまり当社の可能性がある。奈良時代の天平9年(737)『但馬國正税帳』にある「朝来郡押坂神」の押坂神が当社とも考えられている。唐突だが、江戸時代前期の寛永14年(1633)の創立とも。この年、溝黒の八幡社の地から現在地に遷座したともされる。式内・兵主神社の論社。兵庫県には、兵主神社が多く、20社近く存在する。式内社では全国に19社記載されている中で、但馬國内には7社もある。兵主神は、『史記封禅書』に見られる、「天主・地主・兵主・陽主・陰主・月主・日主・四時主」の一とされている武神。新羅に対する防衛線として、但馬に兵主神を配したという説もある。とあります。