板橋区の新しい庚申塔、見逃せない!
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
【板橋区で「最も新しい庚申塔」。それでも明治36年、120年以上前です】小豆沢4丁目の住宅地を歩いていると、小さな覆屋の中に二基の庚申塔が並んでいます。一見すると、昔からありそうな路傍の石仏。右側の青面金剛塔は明治36年(1903)3月建立で、板橋史談会によれば2025年時点で板橋区内に確認されている最も新しい庚申塔のようです。しかも、板橋区内で明治以降に建てられた庚申塔はわずか5基。そのうち他の4基は「庚申塔」「猿田彦」などを刻んだ文字塔で、青面金剛そのものを彫った像塔はこの一基だけだそうです。私はここを知って、一気に見方が変わりました。【よく見ると、普通の庚申塔とも少し違います】右の塔には、剣を持ち、ショケラを提げた六臂の青面金剛が彫られています。足元には邪鬼。ところが、江戸時代の青面金剛塔によく見られる日月・二鶏・三猿がありません。庚申塔では青面金剛、邪鬼、三猿、日月、鶏などを組み合わせた像容が一般的ですが、時代が下るにつれて文字だけの塔も増えていきました。そうした中、明治36年になってなお、ここではかなり丁寧な青面金剛像が造立されています。台座には「下講庚申講中」。個人の記念碑ではなく、小豆沢の人々が講を組み、信仰の中で建てた石塔だったことが分かります。【そして私が最も面白いと思ったのが、側面です】この庚申塔、実は昔の道しるべでもあります。右側面には、「西 仲仙道」「南 いたばし」反対側には、「北 わたしば」「東 あかばね 道」と刻まれています。今は静かな住宅地ですが、この文字を読むと、ここが突然、昔の小豆沢村の交差点に見えてきます。西へ行けば中山道。南へ行けば板橋。東へ行けば赤羽。北へ進めば渡し場。石仏であると同時に、120年以上前の人々が実際に使った「石の道路標識」でもあるわけです。【隣の石は、さらに50年前】左側に立つ文字塔は嘉永6年(1853)。ちょうどペリー来航の年です。正面には日月と「庚申塔」。側面には「南いたばし」「西 志村・根葉・吹上道」「東 袋・岩淵道」などの行先が刻まれ、こちらも道標を兼ねています。つまりこの小さな覆屋には、1853年の道標庚申塔+1903年の青面金剛道標が並んでいることになります。50年を隔てて建てられた二つの石が、同じ土地の信仰と交通を伝えているのが何とも面白いです。【私が一番うれしかったのは、今も「史跡」で終わっていないこと】さらに板橋史談会によれば、この明治36年の庚申塔は現在も旧家によって丁寧に祭祀され、地域では庚申講そのものも受け継がれているそうです。私はここに一番心を惹かれました。博物館へ移されて昔の民俗資料になったのではなく、120年以上経った今も、住宅地の片隅で祀られている。道は変わっても、石は残り、祈る人も残った。ここを訪れたら、青面金剛のお姿だけ見て帰るのではなく、ぜひ左右の側面まで覗いてみてください。「中山道」「板橋」「赤羽」「渡し場」。その文字を見つけた瞬間、私はこの小さな庚申塔が、昔の小豆沢の道と暮らしを現在につなぐ場所のように感じました。かなり地味な史跡ですが、知れば知るほど面白い。こういう場所こそ、これからも大切に守られてほしいと思います。