曽良句碑を間近で楽しむ。
西教寺の特徴
曽良の句碑かさねとは~が美しく佇んでいます。
大田原市余瀬の静かな空間で心を落ち着けられます。
ここにしかない歴史的な文学作品をゆったり楽しめます。
誰もここにはいません。静か(原文)obody is here. Quiet
曽良の句碑「かさねとは~」
大田原市余瀬〔西教寺〕に曽良句碑が建っている。かさねとは八重撫子の名成るべし 曽良〔奥の細道〕に出てくる句で、碑は昭和34年(1959)に町役場に建てられたものをここに移した。芭蕉と曽良が滞在した翠桃邸はこの近くにあった。かつての粟野宿。
寺の裏手に見える山が白旗城跡。
| 名前 |
西教寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0287-54-0649 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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しゃむ姫(志やむ姫)。文禄2年(1593年)出生。母は徳川家康公の伯母 矢矧の方の姪。家康公の寵愛を得て身籠ったのち、家康公の旗本、水野重仲(重央)(家康公の実母於大の方の甥)に嫁し、その年に、しゃむ姫を産んだといい、実母、養父ともに,家康公のいとこにあたる。養育は矢矧の方が担当したと言われている。水野重仲は、紀州家家老になる。下野黒羽藩2代藩主大関政増の正室となり、3代藩主高増と女子2人を産んだ。家康公は、しゃむ姫の嫁入り道具として、葵紋入りの短刀、茶碗などを持たせており、初産の際には、葵紋入りの産着を贈ったと言われている。元和2年(1616年)、夫政増が26歳の若さで病没。以後しゃむ姫は,持仏の阿弥陀如来を本尊として、長松院法王寺を建立し、信仰に支えられて、約半世紀を生き,寛文2年(1662年)、70歳で没。法王寺に葬られる(しゃむ姫は浄土宗を信仰していたので、曹洞宗の大関家の菩提寺大雄寺ではなく、法王寺に葬られたらしい)。明治初期の廃仏毀釈で、法王寺は廃寺となり、しゃむ姫は、大雄寺に改葬された。しゃむ姫の持仏の阿弥陀如来は、西教寺の本尊になっている。西教寺は、浄土真宗のお寺。その本尊を拝見したくて、何度も迷った後、声を掛けたところ、住職から、快く、拝見させて頂けた。念持仏だと思っていたので、小さいものかと思ったが、本尊が相応しいほど、大きな阿弥陀様でした。ありがたく拝観させて頂きました。境内には、かさねとは 八重撫子の 名なるべし 曽良 の句碑もあります。阿弥陀如来は、20年ほど前に,クリ−ニングしたとのことでした。それまでは,黒かったらしいです。浄土宗は、阿弥陀様が、前屈みで、舟後光。浄土真宗は、前屈みではなく、後光ということでした。像高78cm、面長9cm、全身金泥で、優雅な両手首と両足先、相好の表現など、江戸初期の特徴が出ている。大関政増は、大阪冬の陣では、本多正信に属し、河内国平野口を守備し、翌年、大阪夏の陣では、敵の首級を97個取った。戦功があったので、徳川家康の妾腹の娘で、水野出雲守重仲の養女である、しゃむ姫を室として与えられた。しゃむ姫は、念持仏を持参して黒羽に下ったのち、西崖に浄土宗長松院を創建し、持仏を本尊とした。